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宍塚大池

 2005年12月10日(土)は、良く晴れて穏やかな天気だった。11月に上高津貝塚を訪れた時に、くたびれたので次の機会に回していた宍塚大池(ししづかおおいけ)に行って見た。宍塚大池に通じる道は狭く、軽自動車でもすれ違うのが困難と思われたので、上高津貝塚まで車で行き、そこの駐車場に車を置いて、歩いて宍塚大池を訪れた。徒歩10分程度の距離である。その前に、前回は祝日のために入れなかった考古資料館に入ってみた。入場料は105円。関東地方及び日本全国の貝塚の大きな分布地図が展示してある。それらを結んで得られる線が、縄文時代の海岸線である。霞ヶ浦は当時は太平洋と繋がっていた。名古屋の東部も海であった。ざっと見た感じで、日本の面積が2割前後小さかったように見えた。

縄文の森
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 上高津貝塚の広場を西に進むと、縄文の森に出る。近くに筑波学園都市があるとは思えない景色。

宍塚大池
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 大池は約3万平方メートルの大きさである。海産物を提供した海やその背後の森と共に、淡水を提供した宍塚大池は、縄文人にとって大切なものだったと思われる。約4000年前というと、約100世代前であり、それほど遠い昔ではないような気がして来る。湖面にたくさんのカモが泳いでいる。冬になると、シベリアから飛んで来るそうだ。
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上高津貝塚から見た土浦
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 この写真の右手に木々の間から土浦の町が見える。4000年前は入り江がそこまで来ていた。

竪穴式住居の内部
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 前回来た時は、住居の入り口は閉められていて内部を見ることはできなかった。今回は、扉が開いていた。天気の良い日には、扉を開けて内部を乾燥させるのかなと思った。入り口から内部を撮影した。
by utashima | 2005-12-10 16:17 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)


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