人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『成熟する江戸(日本の歴史17)』(吉田伸之著)の第1章

第1章 18世紀、通史から全体史へ

 18世紀の日本をめぐる東アジアの国際環境は、前後の世紀に比べても格段に穏やかであった。17世紀半ば以来続いた華夷変態(中華=明が滅び、蛮夷=清が中原を征する)の最終過程で、清に協力した漢人軍団による大規模な反乱(三藩の乱)が1681年に平定され、東アジアの国際情勢は静謐となった。
 ロシアと中国の関係は、1689年のネルチンスク条約によって国境が定まり、安定した状態に入った。
 幕府が直轄する唯一の貿易システムである、長崎を介してのオランダ・中国との関係は、1715年に発令された正徳新例によって枠組みが定められ、幕末の外圧に至るまで続く。

 18世紀の徳川将軍は、以下の通り、7代にわたる。
   5代:綱吉(在位1680~1709年)   6代:家宣(在位1709~1712年)
   7代:家継(在位1713~1716年)   8代:吉宗(在位1716~1745年)
   9代:家重(在位1745~1760年)  10代:家治(在位1760~1786年)
  11代:家斉(在位1787~1837年)

 綱吉政権の末期の1707年(宝永4年)11月に富士山が大噴火している。家宣は、新井白石などを側近に置き、生類憐み令を撤廃し、幕領代官の粛正、貨幣改鋳、正徳新例など、改革を進めた。「正徳の治」という。家継は、家宣の四男。母は側室で浅草唯念寺住職の娘・月光院(お喜代)。徳川15代の中で最年少で将軍になった人物。1713年4月2日、将軍宣下を受けて第7代将軍に就任。この時、4歳にもなっていなかった。

 家継の死により、秀忠の血統が途絶えた。初めて、御三家の一つ紀州藩徳川氏から将軍を迎えた。吉宗である。吉宗は、家康の曾孫に当たり、1705年から紀州藩主となり、財政再建を軸とする藩政改革を実施中だった。
 吉宗は、老中の合議制ではなく、新たにおいた御用取次と旧来からの三奉行(寺社、町、勘定)を権力の中枢に置く。町奉行には、大岡忠助を任じた。現在では大岡越前として知られている。
 吉宗は、自身の血統を強化する観点から、新たに、世子家重の弟宗武に田安家を、末弟宗尹(むねただ)に一橋家を興させ、宗家の継承権を持たせた。後に、家重が次男重好に創始させた清水家と併せて、吉宗直系の御三卿がこうして設立された。
 吉宗の政治(享保改革)の柱は、年貢増収政策、通貨政策、都市・農村政策である。年貢増収政策では、山野河海を対象とする新田開発が有力商人の資金を活用して精力的に実施された。開発された新田は、幕領に編入され、その結果、1722年に410万石であった幕領石高は、50万石、12.2%も増大した。

 吉宗は、1745年に将軍を辞し、1751年に没するまで西丸の大御所として9代将軍家重を後見した。家重は病弱で、1760年には将軍職を長男家治に譲った。9代・10代の時期の政治において、脆弱な将軍を補う形で幕閣に君臨した田沼意次の存在が大きい。1767年には側用人、1772年には老中となった。1750年代終わり頃から失脚する1786年までを田沼時代と呼ぶ。田沼時代を彩るのは、流通政策、蝦夷地開発政策、印旛沼開発計画、一揆対策など。

 天候の不順や浅間山の大噴火(1783年)などを契機にして、東北地方を中心に全国レベルで未曾有の規模に達した天明飢饉と、困窮した民衆による一揆・打ちこわしが全国の都市や在地社会で荒れ狂う中で、1786年、将軍家治が没し、直後に田沼意次が老中を罷免される。1787年、15歳の家斉が11代将軍になる。その年の5月に、30歳の松平定信が抜擢されて老中首座となり、家斉を補佐し、田沼派を一掃して寛政の改革が開始される。
 定信は、田安宗武の子、すなわち吉宗の孫である。一度は家治の世子になりかかったが、田沼等に妨害され白河藩松平氏に養子に出され、1783年に白河藩主となっていた。寛政の改革のポイントは、①年貢減免、人返し等による農村政策、②特権商人の市場独占を規制し、都市商人資本を抑圧、③飢饉や貧困に対する恒常的施策、等。

 将軍の直臣で御目見(将軍に謁見できる格)以上の武士身分の内、1万石以下を旗本といい、1712年に約5400家にも達した。大半は500~3000石の間に分布した。
 村は、1722年当時、全国に6万3976を数えた。1村当たりの平均石高は408石、平均人口は404人とされている。町は、全国で1万程度あり、1町の人口も300~400人とみられる。

 江戸の町を描いた『熙代勝覧(きだいしょうらん)』という絵巻物が、ベルリン国立アジア美術館(通称・ダーレム博物館)に展示されている。これは、1950年代にあるドイツ人医師が日本滞在中に入手したもので、1980年代に他のコレクションと共に同館に寄贈されたという。細かい入手経路などは未詳。縦0.44m、横12.3mの長大な絵巻。作者は未詳で、制作年は1805年という。18世紀が達成した巨大都市・江戸の成熟が描かれている。
 熙代勝覧は、神田の今川橋から日本橋通りを約700m南下して日本橋に至る街路を、東側上空から俯瞰する形で描写されている。熙代勝覧のコピーは、2009年11月から、東京メトロ「三越前」駅地下コンコース壁面に常設展示されている。また、こちらのサイトから8.5MBのJPEGファイルとしてダウンロードできる。お楽しみ下さい。
by utashima | 2012-01-08 22:39 | 読書 | Trackback | Comments(0)


<< 自宅PCが絶命か? 銀星囲碁12の段級位設定機能 >>