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『織豊政権と江戸幕府(日本の歴史15)』(池上裕子著)の第6章

第6章 村の世界

 秀吉が信長の部将として浅井長政の旧領を与えられると、村々に指出(さしだし)の提出を命じた。新領主が支配を開始するに当たり、村は百姓指出を提出し、旧領主の支配の内容を先例として申告して新領主に承諾させ、村は負担を請け負うという手続きをとるのが一般的であった。15~16世紀にかけて、村が年貢などの納入を請け負う村請が広く成立した。名主・年寄・庄屋などと呼ばれる人々が、年貢などを集める実務を担当した。

 村落間の紛争が発生すると、領主が裁判を行なうが、新領主にその地域の慣行や先例が分かっていないため、正しい判断を下すのが困難な場合がある。その場合、神判に頼るほかなかった。争っている双方の代表者に神前で、熱湯の中に手を入れさせる湯起請(ゆぎしょう)や熱した鉄を握らせる鉄火を科して、火傷の程度の大きい方や熱鉄を先に投げ捨てた方を敗訴とする過酷な方式をとった。

 秀吉は1598年、越後の上杉景勝に会津への転封を命じた。秀吉は、「奉公人は全部連れていき、検地帳面の百姓は越後に残せ」と言ったが、当時は兵農未分離だったため、実現は無理だった。兄弟で、会津に行く者と越後に留まる者に分かれた例も少なくない。越後に留まる者は兵の身分を失い、会津へ行った者は農の道を捨てるしかなかった。
by utashima | 2011-08-07 21:20 | 読書 | Trackback | Comments(0)


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