私がブログを始めた目的は、
第1回の「ブログ作成の経過」に書いた。開始から3ヶ月余り経ち、新たな目的を意識して書いている。
現在53歳であり、JAXA退職までに残された期間は、約7年間。退職に関係して、竹内端夫氏の『人工衛星 追跡余話』を思い出す。竹内氏は東京天文台(現在の国立天文台)で天体力学を研究されていたが、1960年代末に日本も人工衛星を打ち上げて追跡管制を行なうという事になり、軌道決定システム構築の指導のためにNASDAに来られた方である。私も追跡部門にいた時は、色々と教えて頂いた。NASDAを去られる時、上記の『人工衛星 追跡余話』と『人工衛星追跡管制資料』を出版されている。『人工衛星 追跡余話』のはしがきに、以下の様に書かれている。なお、竹内氏は、2003年10月20日に逝去された。
先に出版した「人工衛星追跡管制資料」を編纂した時、資料とするにはちょっとふさわしくない、しかし捨ててしまうには惜しい原稿がいくつか残りました。宇宙開発事業団にお世話になっていた約10年の間にたまった講演の原稿、雑誌への投稿、エッセイなどのたぐいです。
その中で宇宙開発に携わっておられる方ならば関心を持って下さるのではないか、と思われるものを選び「追跡余話」として出版させて頂く運びとなりました。・・・・
1981年8月 参事 竹内端夫
私などは竹内氏の足元にも及ばないが、NASDA, JAXA勤務中に行なった、或いはこれから行なう作業の中で、他の人達にも関心を持って頂けそうな秘密でないものを、ブログとして少しずつ残して行こうと考える様になった。つまり、職業人生の1つの記録である。