タイトルの本で、奈良時代を中心とした日本の歴史を勉強し直した。平城京跡は、1952年には特別史跡として保存されており、1959年以降は、奈良国立文化財研究所が発掘を継続している。来年の2010年は、平城京遷都(710年)から1300年という事で、
平城遷都1300年祭が計画されている。
710年~784年の75年間、平城京は日本の中枢として機能した。この奈良時代は穏やかな時代だった印象を持っていたが、タイトルの本を読んでみると、以下のように色々な政治/武力・闘争があった。
(1)隼人の反乱(720年)
(2)蝦夷の反乱(720年)
(3)多治比三宅麻呂の謀反誣告(ぶこく)事件(722年)
多治比三宅麻呂は、誰かが天皇に対する反逆を企てていると密告したが、逆に事実無根の告発をしたとして断罪された。
(4)蝦夷の反乱(724年)
(5)
長屋王の変(729年)
私に最も印象深かった事件。長屋王は国家転覆罪の嫌疑をかけられ、729年2月12日、自宅で54歳の命を絶った。妻子に毒を飲ませて絞殺し、自身も服毒自殺したらしい。約10年後、長屋王は冤罪だったとしている。この事件は、皇統内部の血筋争いと考えられている。聖武天皇も深く関与していたと推測されている。長屋王が自害した邸宅は、新しく皇后になった光明子の皇后宮として利用された。変から僅か半年後の事。この変は、長屋王の邸宅を利用したいための陰謀だったとも考えられるという。
光明子の皇后宮が長屋王の邸宅跡であったという事は、1988年~1989年にかけて大量に出土した二条大路木簡の調査で明らかになった。
(6)藤原広嗣の乱(740年)
九州大宰府に左遷されていた藤原広嗣が、玄昉(げんぼう)・下道真備の排斥を要求して九州で挙兵。広嗣には軍事行動の意図があったか疑わしく、広嗣の聖武天皇個人にあてた政策批判を、天皇が過敏に反応したとの考え方もある。
(7)
橘奈良麻呂の変(757年)
聖武天皇が亡くなり、叔母である光明皇太后をバックに発言力を強める藤原仲麻呂を標的としたクーデター未遂事件。仲麻呂は複数の密告から事前に把握し政敵を一挙に粛正する。奈良麻呂は光明皇太后の甥に当たる。
(8)
藤原恵美押勝の乱(764年)
押勝(藤原仲麻呂)は、淳仁天皇と不仲となった孝謙太上天皇(女性)の失脚を画策する。先に孝謙側が動き、淳仁天皇の持っていた鈴印を奪う。押勝は謀反のレッテルを貼られる。押勝は近江を通って逃げ巻き返しを図ろうとするが、吉備真備によって琵琶湖から流れる瀬田川にかかる勢多橋を落とされ、琵琶湖西岸を北上するしか手が無くなる。結局、琵琶湖西岸で殺される。淳仁天皇は、乱の経過には登場しないが、淡路島に幽閉され、約2週間後に不自然な死を遂げる。孝謙太上天皇は、称徳天皇として政務を執る。
また、度々、都を移して、民を苦しめている。
(a)710年、平城京へ遷都。
(b)740年、恭仁(くに)京へ遷都。
(c)744年、難波を首都とする。
(d)745年1月、紫香楽(しがらき)を新京とする。
(e)745年5月、平城京へ還都。
735年~737年には、天然痘が大流行している。奈良時代も決して、平穏な時代ではなかったようだ。
この本に現れる幾つかの遺跡を、
Google Maps に追加した。