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予科練平和記念館

 茨城県稲敷郡阿見町大字廻戸(はさまど)5番地1にある予科練平和記念館へ初めて出かけた。DMM.comで借りたDVD『零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~』(2013年8月にNHKで放映された)の中に予科練平和記念館が出て来た。2010年の開館である。

 自宅から車で15分程度の距離なので、今日の午後、出かけてみた。終戦時に17歳で満州に居た義父も興味があるというので、一緒に出掛けた。記念館の正面入り口に向かって左手に、人間魚雷の回天の実物大模型が置いてあった。これを見た時、義父が特殊潜航艇甲標的の話をしてくれた。甲標的は1941年12月の真珠湾攻撃にも参加している。義父は中学生の時に学徒動員として広島県呉市の造船所で甲標的の製造に参加していた。甲標的は搭乗員2名で回天より大型であり、人間魚雷ではなく、2発の魚雷を発射する潜航艇であった。

 入館料500円×2を支払って館内に入ると、ちょうど別の団体に展示解説員が説明を始めたばかりだったので、その団体に付いて説明を聞いた。なお、内部は撮影禁止である。見終わった後、隣接地にある雄翔館にも入って観た。こちらは1968年に開館している。

 義父とは一緒に住んでいるが、太平洋戦争当時の話を聞いたことは無かった。今日初めて、上記のように学徒動員で特殊潜航艇を作った事や、終戦直前から1年半程度、満州の奉天(今の瀋陽)に住んでいた事などを聞いた。
by utashima | 2014-04-26 18:25 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)

『満韓ところどころ』(夏目漱石著)

 青空文庫で夏目漱石の随筆『満韓ところどころ』を読んだ。漱石は1909年(明治42年)9月2日から10月14日まで満州・朝鮮を旅行しており、その紀行文が『満韓ところどころ』である。朝日新聞に1909年10月21日から12月30日まで掲載された。旅行直後の1909年10月26日に満州のハルビン駅構内で、伊藤博文が暗殺されている。

 この旅行は、漱石の親友である中村是公(なかむら よしこと、通称なかむら ぜこう、南満鉄道会社の総裁)に誘われて出かけたもの。日露戦争が終わった1905年から4年しか経ていない時である。大連、旅順、二百三高地などを巡っている。持病の胃炎のため、旅行中も胃痛が絶えなかったようだ。
by utashima | 2014-04-23 22:39 | 読書2 | Trackback | Comments(0)

次男の旧PCのリサイクル処理とネットワーク・プリンタの移動

 次男から依頼されていた旧PC (Windows Xp) のリサイクル処理をほぼ完了した。そのPCはまだ起動できる状態だったので、1.5年前と同様に、「SOURCENEXTstyle ドライブクリーナー」を使って、データの完全消去を行なった。現在は、「エコゆうパック」伝票が届くのを待っている状態。旧PCを梱包したダンボール箱に、その伝票を貼り、郵便局(電話すれば取りに来てくれる)から送付すれば終わり。

 そのPCがあった場所に、隣の部屋に置いていたネットワーク・プリンタ(EPSON PM-T960)を移設した。1階のリビングから印刷指令を送る時に繋がり易くなろう。
by utashima | 2014-04-19 12:09 | パソコン | Trackback | Comments(0)

私の自転車の買換え

 先日、私の自転車がパンクした。調べてみたら、1989年4月に購入したもの。25年前である。今日、近所の自転車店に行き、この自転車を廃棄処分にして貰い、新しい自転車を買った。新しいと言っても、中古自転車である。新品は35000円位だったが、購入した中古は7500円。

 自転車のランプの発電機に、ハブ発電機というのがある事を初めて知った。従来のものはローラー発電機と呼ばれている。ローラー発電機は発電時にペダルが重くなるが、ハブ発電機は大して重くならない。というか、前輪のハブに付いているので、点灯しない時も発電している。暗くなったら、自動的に点灯するらしい。購入した自転車も、ハブ発電機だった。まだ、この自転車で夜に走っていないので、どの程度の明るさかは分からない。
by utashima | 2014-04-18 16:29 | 省エネルギー | Trackback | Comments(0)

風呂・洗面所のリフォーム

c0011875_1822599.jpg 我が家は、1995年3月に新築してから、19年が経過した。よって、風呂場及び隣接する洗面所のリフォームを実施した。リフォームも家を建てて貰ったへーベルハウスにお願いした。へーベルハウスに相談する前は、工事に要する日数が分からず、もし1週間近くを要するようならば、その間の入浴をどこでしようか、と考えたりしていた。

 へーベルハウスと相談の過程で、工事期間は3日間、3日目の夕方には風呂に入れるので、実質2日間だけ風呂を我慢すれば良いと分かった。

 4月3日(木)~5日(土)で、リフォームして頂いた。初日は1日雨となり、工事への影響を心配したが、翌日からは天気も回復し、無事予定通りに終了できた。

 今までの風呂との違いは、
   ①天井に暖房乾燥機を付けた
   ②浴槽が二重になっていて保温効果がある
   ③床が滑り難く弾力性がある
   ④浴室の窓を二重窓にした
   ⑤手摺を増やした
などである。風呂も日々進歩している。
by utashima | 2014-04-05 18:18 | イベント | Trackback | Comments(0)

『日本大地震』(斎藤茂吉著)

 1929年10月に「改造」(*)に初出の表記文章が、青空文庫にあったので読んだ。
(*)「改造」は、戦前の日本で発行されていた、社会主義的な評論を多く掲げた日本の総合雑誌。1919年(大正8年)創刊、1955年(昭和30年)廃刊。

 ウィキペディアによると、斎藤茂吉は、1921年10月から精神病学研究のため欧州留学に出発。11月1日神戸を出航、香港、シンガポール、マラッカ、コロンボ、スエズから陸路カイロ往復、マルセイユ、パリを経て12月20日ベルリンに到着。1923年(大正12年)に学位論文「麻痺性痴呆者の脳図」を完成させ、イタリア旅行を経て7月、ミュンヘン大学に転学している。

 表記著作は、ミュンヘンに到着後から始まっている。住む部屋探しに苦労している記述がある。南京虫が出ない部屋を探していたようだ。ちょうどその頃、夕刊の“Die Erdbebenkatastrophe in Japan”と題した日本震災の記事で関東大震災を知る。斎藤茂吉は以下の様に記している。
 上海電報に拠よると、地震は九月一日の早朝に起り、東京横浜の住民は十万人死んだ。東京の砲兵工廠は空中に舞上り、数千の職工が死んだ。熱海・伊東の町は全くなくなつた。富士山の頂が飛び、大島は海中に没した。云々である。

 更に以下の様に書いている。
 私も部屋のことで斯う愚図愚図してゐてはならぬと思ひ、けふも数軒部屋を見、遠くて不便であるが一間借りるやうに決心した。私はけふはもう教室に行く勇気はなかつた。夕刊を読むと日本震災の惨害はますますひどい。私等は何事も手に附かず、夕食後三人して麦酒を飲みに行つた。酒の勢を借りてせめて不安の念を軽くしようとしたのであつた。

 9月13日の夕方、斎藤茂吉に電報が届き、家族の無事を知った。そして、当分ミュンヘンに留まる決心をし、1924年末に帰国した。
by utashima | 2014-04-04 11:49 | 読書2 | Trackback | Comments(0)

『大正十二年九月一日の大震に際して』(芥川龍之介著)

 夏目漱石の『こころ』を読んだので、次は何を読もうかと、青空文庫を眺めた。芥川龍之介の作品の中に、表記の『大正十二年九月一日の大震に際して』があったので、読んでみた。二、三十年以内に首都圏に大地震が発生する可能性が高いと言われており、1923年の関東大震災を実際に体験した芥川龍之介の文章を是非読んでみたかった。

 龍之介は地震発生直前の1923年8月に鎌倉を旅して8月25日に東京の田端に帰っている。鎌倉に居た時、以下の記述がある。
 
藤、山吹、菖蒲と数へてくると、どうもこれは唯事ではない。「自然」に発狂の気味のあるのは疑ひ難い事実である。僕は爾来人の顔さへ見れば、「天変地異が起りさうだ」と云つた。

 関東大震災は、龍之介が東京に帰ってから約1週間後に発生している。上記の予想は、龍之介自身も余り信じていなかったようだ。

 龍之介は、東京に戻ってから風邪をひいている。8月29日に38.6度の発熱だった。家族全員が風邪の状態だった。9月1日の地震発生当日の記述は、以下の通り。
 午ごろ茶の間にパンと牛乳を喫し了り、将に茶を飲まんとすれば、忽ち大震の来るあり。母と共に屋外に出づ。妻は二階に眠れる多加志を救ひに去り、伯母は又梯子段のもとに立ちつつ、妻と多加志とを呼んでやまず、既にして妻と伯母と多加志を抱いて屋外に出づれば、更に又父と比呂志とのあらざるを知る。婢しづを、再び屋内に入り、倉皇比呂志を抱いて出づ。父亦庭を回つて出づ。この間家大いに動き、歩行甚だ自由ならず。屋瓦の乱墜するもの十余。大震漸く静まれば、風あり、面を吹いて過ぐ。土臭殆ど噎ばんと欲す。父と屋の内外を見れば、被害は屋瓦の墜ちたると石燈籠の倒れたるのみ。

 田端付近では、屋瓦が落ちた事と石灯籠が倒れた事だけだったようだ。関東大震災は、神奈川県西部を震源とした地震であった。夜、東京方向を見ると、大いなる溶鉱炉を見るが如しと書いている。
 9月2日の夜は、龍之介は39度の発熱だった。
 廃墟東京を見て、龍之介は以下の様に書いている。
 
応仁の乱か何かに遇つた人の歌に、「汝も知るや都は野べの夕雲雀揚るを見ても落つる涙は」と云ふのがあります。丸の内の焼け跡を歩いた時にはざつとああ云ふ気がしました。

 この文章の最後では、古書の焼失を惜しんでいる。
by utashima | 2014-04-02 00:33 | 読書2 | Trackback | Comments(0)

夏目漱石『こころ』

 私は自宅では、2012年10月に購入した東芝のREGZA PC D732/T7(Windows 7)を使っている。数日前、何気なくPCに付属のソフト群を眺めていて、「BookLive! for Toshiba」というソフトに目が留まった。まだ使っていなかった。電子ブックを読む時に使うソフトらしい。起動してみると、無料の「青空文庫」の本も読める。なお、「青空文庫」の作品は、ブラウザでも読めるので、「BookLive! for Toshiba」を使う必要はない。でも、折角付属しているので、「BookLive! for Toshiba」で「青空文庫」の作品を読んでみる事にした。「BookLive! for Toshiba」を使い始めてまだ数日だが、その間に2回ソフトの更新があった。更新で良くなるのは良いが、更新後にPC再起動を要求されるのは困る。地デジ番組の録画機能が動いている事があるので。

 最初に読んだ作品は、夏目漱石の『こころ』。学生時代に読んだと思うが、殆ど覚えていないので、読み返した。最後の辺りに、友人Kの自殺の原因は、天と自分しか知らない・・・、といった記載がある。私は日頃思っている事だが、全世界の指導者達(特に政治家たち)には、「天は全てお見通し」という気持ちを持って、行動して戴きたい。
by utashima | 2014-04-01 17:17 | 読書2 | Trackback | Comments(0)