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Lunascape6.8.2も不安定

 私は6年前からブラウザはLunascapeを使っている。OSは昨年10月までWindows xp(32ビット)だった。Lunascapeはタブ式ブラウザで、20個以上のタブを起動時に読み込むことができる。限界のタブ数がどの位か調べた事がないので分からない。毎日見るサイトはほぼ決まっており、Lunascape起動時に約20個のタブに各サイトを読み込むようにしている。

 昨年10月まで、Lunascapeに全く問題はなかった。ところが、10月からWindows7(64ビット)のマシンに換装してから、Lunascapeが頻繁に落ちるようになった。1日に数回落ちる。この記事を書いている間にも1度落ちた。昨日、Lunascapeの新版(6.8.2)がリリースされたので、改善されることを期待してバージョンアップしたが、相変わらずよく落ちる。

 ならば、IE9を使えばと思うが、IE9では起動時に8個までのタブしか読み込めない。この点で、IE9の使用は却下している。Lunascapeを早く安定させて欲しい。
by utashima | 2013-02-25 19:20 | パソコン | Trackback | Comments(0)

NHKアーカイブスにマイページを作った

 NHK は今年、テレビ放送開始60年を記念して幾つかのイベントを行なっているが、その一つに、NHKアーカイブスの中から自分の好きなコレクションを集めて、マイページを作成できるサービスがある。

 NHK がテレビ放送を開始したのは、1953年2月。私は1歳10ヶ月。しかし、当時は家にテレビ受信機は無く、私が10歳の頃に父が14インチのテレビ(日本コロンビア製)を買ってきた。従って、私がテレビを見始めたのは、1960年頃からである。

 早速、プレミアム会員(無料)になり、1960年以降の思い出のある番組を検索し、マイページに保存した。現時点で、24個の番組を保存した。1番組の保存量は数分程度の量である。ドラマ『バス通り裏』を見た時、これが俳優の演技であるという事をなかなか信じられなかった記憶がある。1963年11月の初の日米宇宙中継でケネディ大統領の暗殺が報じられたのも、忘れられない出来事である。早朝だったが、同じ部屋に寝ていた父がテレビを見ていたので、私も目が覚めた。
by utashima | 2013-02-09 15:16 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『維新の構想と展開(日本の歴史20)』(鈴木淳著)の第5章

第5章 内治を整え民産を殖す

 日本で造船業を開業しようという外国人造船家たちが、開港後に、船渠(ドック)の建設を願い出ているが、幕府は認めなかった。新政府になってからも、外国人造船業者に船渠を造らせない方針を持ち、日本国の力で船渠を含む造船所を整備しようとした。担当したのは、新政府の工部省であった。国内初の船渠は、明治4年に横須賀で開業した。

 岩崎弥太郎は、廃藩後に土佐藩の持っていた汽船の払い下げを受け、明治6年に三菱商会を発足させた。明治7年の台湾出兵にあたり、大隈重信は必要以上の汽船(13隻)を購入し、それを国内海運の近代化と海外貿易の伸長に用いた。この13隻の商船隊は、明治8年に三菱に無償で下付された。西南戦争においては、三菱から徴用された44隻の船舶が政府軍の主力となり、三菱は大きな利益を得た。その後、三菱は海運業で独占的地位を占めた。

 大隈重信との結び付きを中心に発展してきた三菱に、明治14年の政変による大隈の失脚は転機をもたらした。翌明治15年の壬午事変でも軍事目的の汽船整備が必要となったが、政府は今度は三菱を援助しなかった。三井や渋沢栄一等も加わって明治13年に設立された東京風帆船会社や、開拓使船隊を払い下げられた北海道運輸会社などをまとめて、共同運輸会社を設け、政府がこれに出資する形を取った。明治16年に開業した共同運輸は、明治18年に、三菱と合併して日本郵船会社が設立された。

 日本銀行は明治18年5月に銀貨と交換できる兌換銀行券の発行を開始、翌年には政府紙幣の銀貨との交換も始まった。日本は銀本位制の国になった。当時、欧米は金本位制であったが、アジアでの貿易は銀本位で行なわれていた。この頃、銀の価格は金に対して緩やかに低下していた。明治30年に日本が金本位制に移行した時、円相場は明治4年頃に比べて約半分に切り下げられた事になり、輸出を伸ばす効果をもたらした。

 会社という言葉は、幕末に蘭学者たちが学会や組合といった集団の意味で使っていたが、明治になると共同出資企業の意味で政府によって使われ始めた。明治5年に、渋沢栄一らの尽力で官営富岡製糸場が創設された。

 旧大名華族の積み立てていた資金の用途を考えていた渋沢栄一は、明治11年に東京海上保険会社を設立した。海上保険は汽船を経済活動に結び付けるのに重要であった。紡績と並んで企業勃興の中心となったのは、鉄道会社であった。先駆となったのは明治14年に設立された日本鉄道会社である。東京-青森間などの鉄道を建設した。明治18年には阪堺鉄道(現在の南海本線難波駅 - 堺駅間)が開通、明治19年には両毛鉄道会社(東北本線小山(おやま)駅から足利,桐生をへて上越線新前橋駅に至る区間)、九州鉄道会社が認可される。明治20年には山陽鉄道(明治21年11月1日に兵庫-明石間が開通し、12月23日には、明石-姫路間が開通。翌年の1889年(明治22年)9月1日に神戸-兵庫間が開通。その後、岡山、広島を経て明治34年5月27日に山口県の馬関(現在の下関)まで開通して、神戸-馬関間の路線が全通)が認可された。

 東京での代表的な課題として火災対策があった。江戸時代には、死者10万人といわれる明暦の大火をはじめとして、多くの大火があった。明治になっても大火は続き、銀座が煉瓦街となっても他の地域では相変わらず発生した。特に明治13年、14年に東京は相次いで大火に見舞われた。これらの大火は、貧民が負債を踏み倒せ、救助金が貰え、仕事が増える事、米価を吊り上げる商人への懲らしめ等のために放火が行なわれた可能性もあるらしい。明治14年1月、日本橋区箔屋町(はくやちょう)から出火した火災は1万430戸を焼いた。そこで、東京府知事の松田道之は、明治14年2月に東京防火令を制定した。その防火令は、中心街の主要街路と運河沿いを煉瓦造り・石造り・土蔵造りの耐火建築で固めて防火帯とし、都心部の全家屋の屋根を瓦などの耐火物で覆う事を命じた。新築家屋だけでなく、既存家屋にも改築を命じ、期限内に改築しない場合は「直ちに之を取毀(とりこぼ)ちその費用を追徴すべし」とした。改築経費は自己負担であり、当面資力の無い場合は改築額を積み立てさせた。この制度により、明治20年には改築・取り壊しが完了した。知事の松田は面目を一新した東京市街を見ることなく、明治15年に没している。

 明治18年12月、内閣制度が発足。伊藤博文が内閣総理大臣に就任した。内閣総理大臣は、三条実美が務めていた太政大臣とは異なり、公卿が就任するという慣例もなく、いかなる身分の者でも成れるという点で、維新の成果の一つであった。

 明治12年に外務卿となった井上馨は、条約改正に挑む。明治14年に外国人との交際の場として鹿鳴館の建築に着手し明治16年に開館させる。明治15年に条約改正予議会を開催、改正準備を進めた。日本側は、関税自主権の獲得と治外法権の撤廃が目的であった。一方、日本側が切れるカードは1つ、居留地だけに認めている外国人の活動をその他の地域でも認める内地開放であった。井上は、日本の法律・裁判の制度を欧米並みにすべく、英語を正文とする法典と裁判制度を整え、外国人に関係する訴訟は過半数を外国人判事とする等の事を考えていたが、政府内部(勝海舟など)からも反対され、井上は明治20年に外務大臣を辞する。

 明治18年頃から帝国議会の開設を睨んで政治運動が活発になる。政府は明治20年に危険人物を皇居から3里以遠に退去させる保安条例を公布し即日施行した。退去処分者は452名に上った。

 政府は明治21年、大隈重信を外務大臣として迎え、条約改正交渉にあたらせる。
by utashima | 2013-02-08 14:47 | 読書 | Trackback | Comments(0)

インフルエンザ感染

 1月末にA型インフルエンザに感染した。最近では、2005年2月末にB型インフルに感染している。この頃は、予防接種をしていなかった。タミフルを飲んで治した。その後、毎年予防接種を受けている。

 予防接種を受けていても感染する事はあるが、その場合は比較的軽い症状で済むと言われている。今回、38.6度の熱が1日続いたが、それ程苦しいとは思わなかった。今回は、イナビルという比較的新しい薬を貰った。薬局で 口から微細な粉末を吸い込んで終わり。その後、数時間してから体温が下がり始めた。

 解熱後、2日以上経過したので、今日(2月4日)出勤した。再発しないよう、気を付けよう。
by utashima | 2013-02-04 22:47 | イベント | Trackback | Comments(0)

ほぼ初めての確定申告

 1月29日、ほぼ初めての確定申告を提出した。今住んでいる住宅を新築した翌年(1996年) に、住宅ローン減税を受けるために市役所の確定申告の会場に出向いて手続きをしたが、今回はそれを除けば初めての確定申告である。国税庁のサイトで比較的簡単に書類を作成できると聞いていたので、挑戦した。

 昨年3月末で定年退職し、4月から再雇用となっている。公的年金の一部も受け取っている。つまり、給与と公的年金の両方から収入があるため、確定申告が必要である。また、医療費も10万円を超えていたので、医療費控除も計算した。予想通り、簡単であった。出来上がった資料を印刷し、医療費の領収書と共に、税務署に郵送した。私の場合、源泉徴収だけでは納税額が不足だったので、銀行で追加納税した。

 国税庁のサイトで医療費明細も作れる。個人、医療機関/薬局、治療内容/薬剤内容の各項目毎に分類して作る事になる。昨年初めから、医療機関に掛かった時は、その都度Excel に情報を入力していたが、最後はどのように整理するのか、分からなかった。今回、医療費明細のフォームが判明したので、来年の確定申告に備えて、よりスムーズに準備できる。

 
by utashima | 2013-02-04 22:21 | イベント | Trackback | Comments(0)