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2012年秋の紅葉

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 つくば市東大通りに掛かる並木大橋の上から見た、本日(2012年11月16日)の紅葉。ブログには圧縮された画像しか掲載できないが、新PC の壁紙にフル解像度のものを貼り付けて楽しんでいる。
by utashima | 2012-11-16 12:53 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)

画面キャプチャができない問題

 新PC (東芝D732/T7)を使っていて、画面をクリップボードにコピーできない事がしばしば発生した。東芝にメールで何度か質問した。解決しなかった。東芝からの回答は、「原因が特定できないので、出荷時の状態にリカバリーして現象を見て欲しい」であった。旧PC から移行し、環境設定をやっと終えた段階で、「リカバリーせよ」という発言に、呆れてしまった。勿論、「否」と答えて、この件の質問は終えた。

 正常にコピーできる時もあった。どのような状態の時にコピーできないのかまでは、把握できなかった。

 昨日、ネットで検索してみた。この機種では、FN+ALT+END の3キーを同時に押すと、アクティブ画面がコピーされる仕様になっている。そこで、「FN+ALT+END 画面コピー 動作しない」と入力してGoogleで検索してみた。こちらのサイトに欲しい情報が載っていた。

 Qosmio AV Center (TV機能)が稼働していると、FN+ALT+END の3キーによる画面コピー機能が無効になる仕様と分かった。確かにそのような動作であることを確認した。その時の画面コピーツールとして、「Snipping Tool」というソフトが新PC に付属している事も分かった。これで私の問題は、リカバリしないで解決した。

 東芝への質問では、上記のような回答を期待していた。
by utashima | 2012-11-11 10:20 | パソコン | Trackback | Comments(2)

『維新の構想と展開(日本の歴史20)』(鈴木淳著)の第1章

第1章 明治の「藩」

 1868年3月14日に、五箇条の御誓文が発布された。明治天皇が天地神明に誓った国是である。御誓文は、三条実美が天神地祇御誓祭(てんじんちぎごせいさい)と呼ばれる儀式において読み上げた。三条実美は、明治18年に内閣制度ができるまで、新政府の首班であり続けた。この年の1月3日に鳥羽・伏見の戦いで戊辰戦争が始まっている。御誓祭の翌日の3月15日は、江戸城総攻撃の予定日だった。

 明治維新では、一人の藩主も死刑に処せられる事はなく、完全に消滅した藩もなかった。新政府は各藩主の支配権を認めた状態で出発しなければならなかった。

 幕府の役職は、中小藩主と旗本で占め、外様の大藩や親藩は幕政から排除されていた。幕府は全国政権というより徳川家の政府であった。そのため、幕末において、外様や親藩の意見も幕政に反映すべきという「公議」が主張され、1867年12月9日の王政復古の大号令では、公議を尽くす宣言がなされている。朝廷の公家が政治を行なうのではなく、武家も含めた公議による政治が行われるという合意ができた。

 1868年12月6日に公議所の設置が布告された。しかし、審議の範囲は明示されていなかった。外交・軍事の大事に関する審議権の有無は明確ではなかった。各藩や中央の諸学校から1人ずつ出された公議人227名により、翌1869年3月に開議した。前回に議案を出し、文書で回答を作って来て読み上げるのを議論の基本とした。公議所の議論では廃刀が否決されるなど、この時期の公議人(武士)は、維新が自らの武士としての価値意識に転換を迫るとは考えていなかった。

 幕末の議論では王政復古と郡県制は直結しておらず、王政復古への合意は封建制の廃止を前提としていなかった。新政府の下で封建制か郡県制かの議論が展開された。公議所は1869年7月頃に集議院と改称され、太政官の指示により議事を行なう諮問機関となった。明治4年7月14日に、諸藩に諮ることなく、一切の公式の会議なしに、薩摩・長州出身の参議以下の合意を、三条と岩倉を通じて上奏して裁可を受ける形で、廃藩置県が命じられた。
by utashima | 2012-11-02 17:49 | 読書 | Trackback | Comments(0)