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大腸がん検診

 2012年7月20日に大腸がん検診(検便)を受けた。つくば市が実施する無料の検診。私は今年4月1日で60歳という事で受検できた。同じ頃、ホームドクターに血液検査をして頂く機会があり、腫瘍マーカーである CEA と CA19-9 の2項目も追加で検査して貰った。

 先週、全ての結果が分かり、全項目クリアだった。
by utashima | 2012-08-21 10:42 | イベント | Trackback | Comments(0)

NASA RBSPを近日中に打上げ

c0011875_1059566.jpg NASAは、2012年8月23日に ATLAS-V で RBSP(Radiation Belt Storm Probe)衛星2機を同時に打ち上げる予定。質量は、各々650kg程度。このミッションの軌道は、近地点高度約500km、遠地点高度約3万km、傾斜角10度の長楕円軌道である。

 2衛星の遠地点高度を約100kmずらしておく事で、約75日周期で2衛星の相対位相を360度変える。これは、radiation belt 内の電子・陽子の変動を、時間変動と空間変動をなるべく分離して観測するためである。ミッション期間は、2年以上を予定している。このミッションの総コスト(life-cycle cost)は$686 millionである。現レートで約550億円。

 最新のプレス・キットを参照して下さい。

[追記:2012年9月4日]
 RBSPは、予定より1週間遅れた8月30日に、無事に打ち上げられた。
by utashima | 2012-08-18 10:59 | 宇宙開発トピックス | Trackback | Comments(0)

牛久助郷一揆道標

 近所の書店で見つけた『茨城県謎解き散歩』を読んでいる。その80頁に「被害者による加害者の供養塔建立の謎」という節がある。その供養塔は、牛久助郷一揆道標と言われるもので、茨城県稲敷郡阿見町4666-738の交差点角(このリンク先は表示に多少時間を要する)にある。最初のリンク先に説明があるので、参照して下さい。水戸街道の交通量が増え、宿場の人馬が不足するようになり、助郷制の範囲を広げようとしたが、対象となる農民たちは反対し、牛久助郷一揆を起こした。1804年の事。3名の首謀者は捕まり、江戸の牢で獄死。19年後の1823年に、打ちこわしを受けた麻屋家がこの道標を建立。これには方角のほかに、一揆の指導者三人の没年月日・戒名・俗名を刻し供養塔を兼ねている。

 最初のリンク先に、綺麗な写真も掲載されているが、「義民顕彰の碑」の裏側にも碑文が書かれていたので、以下に掲載する。
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 次の写真は、より広い範囲を撮影したもの。正面の小さい建物の中に、1823年に建てられた道標が保護されている。今日行ってみると、扉は開けられており、「自由にお持ち下さい」と書かれた袋の中に、B4版1枚表裏の説明書きが10枚程度置いてあった。1枚を戴いて帰った。
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by utashima | 2012-08-14 14:04 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)

『文明としての江戸システム(日本の歴史19)』(鬼頭 宏著)の第5章

第5章 産業発展と生活革命

 「鎖国」という言葉は江戸幕府が使い始めたのではない。ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルが、長崎の出島商館に滞在した経験を基に、帰国後に『日本誌』を執筆。そのオランダ語版の付録の1章を、志筑忠雄(しづき ただお)が『鎖国論』と題して翻訳したのが、「鎖国」という言葉の初使用である。1801年の事。和辻哲郎は鎖国に対して負の評価を与えたが、ケンペルは鎖国時の日本に対して高い評価を与えている。近年でも、鎖国の評価は論者によって分かれている。

 日本では古くから養蚕が営まれて生糸が生産されて来たが、良質の生糸は中国からの輸入に依存していた。奢侈品である絹織物に対する需要の増大が有り、1630年代には年間20万kg前後の生糸がマカオからポルトガル船により輸入された。輸入生糸の対価として支払われたのは銀であった。朝鮮から導入された「灰吹法」と呼ばれる精錬技術により、銀の産出量は大きく伸びた。17世紀初期には、世界全体の銀の生産高の1/2に近い量を日本で生産していた。

 1645年に俳人の松江重頼(京都の旅宿業者)は、俳諧手引書『毛吹草』を刊行。季語などと並んで諸国の特産物を書き上げた巻がある。醤油が山城と和泉の特産物として記載されている。京都で発祥した醤油が紀州湯浅で商品化され、江戸初期に紀州漁民により下総の銚子へ伝えられた。ウィキペディアに、「日本国外への醤油の輸出は1647年にオランダ東インド会社によって開始された。伝承によればルイ14世の宮廷料理でも使われたという。」と書かれている。焼酎については、慶長期に中国人やヨーロッパ人が伝えたとする製法の記録がある。

 家康は1590年に摂津佃村から漁師を呼び、江戸に住まわせて将軍家に鮮魚を納めさせた。1644年に隅田川河口洲を埋め立てて佃島を造り、摂津漁民の定住地とした。浅草海苔は江戸生まれで最初に上方に流通した商品である。

 農民は、非農業生産も行なっていた。農業は五公五民に近い年貢率であったが、非農業に対しては2%に満たない負担であった。合わせて、年貢率は25%程度であった。

 江戸システムは、自然と調和したシステムというイメージがあるが、環境汚染や環境破壊も各地で起きていた。
by utashima | 2012-08-07 10:06 | 読書 | Trackback | Comments(0)