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リビングにLEDシーリング・ライトを設置

c0011875_22243218.jpg 数日前、リビングの照明器具(28W丸型蛍光管×4)の一つの蛍光管が消えていたので、新しい蛍光管と交換してみた。交換しても、点灯しない。調べて見ると、蛍光管ではなく、電子安定器(インバーター)の故障と判断した。製造メーカーに問い合わせると、その型の電子安定器はもう製造していないと言われた。17年前の製品なので、仕方ないか。

 新しいシーリング・ライトに取り換える事にした。要求条件は、11畳用である事のみ。ネットで色々な製品を調べていると、LEDシーリング・ライトが大して高くない事を知った。3万円程度で12畳用のものが買える事が分かり、近所の家電量販店に行き、店員の話を聞きながら選定した。購入したのは、東芝製のLEDH95002Y-LC。27800円だった。消費電力78W、LEDの寿命は4万時間。約10年間の寿命である。今まで使っていた蛍光管式照明器具の17年寿命に比べると約10年は短いように思われるかも知れないが、その10年間、管の交換をしなくて良いのは大きい。

 昨日、LEDH95002Y-LCを取り付けた。明るさを1%~100%まで自由に変えられる。色調も、赤っぽい色から青っぽい色まで、変更できる。電気使用量も3割程度減る。
by utashima | 2012-01-26 22:24 | 省エネルギー | Trackback | Comments(0)

『成熟する江戸(日本の歴史17)』(吉田伸之著)の第2章

第2章 社会的権力--豪商と町
 近世社会において、在地社会における村方地主と、都市域の有力商人=大店層を、社会的権力として想定できる。

 幕府は、享保改革の時期に、それまでの方針を変え、質地集積を容認し、質地地主化した村方地主が在地社会を統括する力量を有する事に着目し、彼らを支配機構の末端に組み込み、重要な役割を担わせる事にした。このような背景の中、質地地主層は18世紀後半に急激に豪農に変態を遂げてゆく。
 次に、都市域における有力商人を社会的権力という点から見る。社会的権力となった大店(おおだな)と呼ばれる有力商人が、いつ成立したかはまだ充分に解明されていないが、三井越後屋の事例から見て、少なくとも京都では17世紀中頃が一つの画期をなすと考えられる。17世紀末~18世紀前半には、三都をはじめとする全国の諸都市域において、大店が一般的に形成されたと推測できる。

 以下では、三井越後屋を大店の事例として取り上げる

 『煕代勝覧』の画面のほぼ中央に、超大店となった三井越後屋が描かれている。三井家は、江戸、大坂、京都において大量の町屋敷を抱えていた。江戸に80~100ヶ所、大坂に十数ヶ所、京都に80~90ヶ所。これらの大半は、地借・店借に賃貸された。三井家の骨格は、17世紀末までには確立していた。

 三井高平が1722年に記した「家伝記」と、ほぼ同時期に三男高治が著した「商売記」と呼ばれる創業の記録が、三井家の主な研究史料である。三井家は越後守高安(1610年没)を家祖とする。この人物は、近江の佐々木六角氏の家臣で、一城の主であったとされる。1568年に六角氏が滅亡後、浪人となり、伊勢に移住し、蒲生氏郷によって建設された城下町松阪に来て、治郎右衛門を名乗ったという。三井家にとっての町人の始まりである。しかし、これらがどこまで事実かは疑問という。

 高安の後、長子の高俊が後を継ぐが、彼は連歌・俳諧などにうつつをぬかし商人としての事績は伝わっていない。しかし、高俊の妻、殊宝(じゅほう)が質・酒・味噌・茶・煙草などを商い、若くして後家になった後に、天性の「商心」を発揮し、その頃から越後屋の屋号を用いる。殊宝は多くの子供を産み、後の三井各営業店を生み出す源となった事から、「商売記」では「三井家商の元祖」と称賛している。

 高俊と殊宝の間には4人の男子と4人の女子が生まれた。高俊の後、三井の総領家を継いだのは、長男の俊次(1673年没、66歳)である。寛永年間(1624年~1644年)の初め、俊次は三井一族として初めて江戸に進出した。場所は本町4丁目。小間物店。この店はやがて呉服店に変わり、また本町1丁目、2丁目にも呉服店を開設する。その後京都に移り、江戸向けの呉服などを仕入れる店舗を御池町に設置し、その後、三条室町に居住した。

 高俊の四男の高利は松阪に生まれ、1635年に江戸に出て、兄俊次の4丁目店に勤務する。当時14歳。28歳の時、母の面倒を見るために松阪に帰る。50歳を超えるまで、松阪で金融業などを営む。高利には男10人、女5人の子供があった。長男から四男まで、江戸に出て俊次の呉服店で勤務した。高利らにとって、総領家である兄俊次の権威は絶対であり、本家支配からの離脱は容易ではなかった。

 1673年7月に俊次が亡くなると、51歳になっていた高利は江戸に長男高平を送り込んだ。高平は本町1丁目の鍵屋嘉兵衛の店の後を借りて営業を開始。高利自身は京都に出て、長男高平を江戸から呼び寄せ、室町通二条下ル蛸薬師町東側の丸屋重兵衛の店舗の後を借りる。これを仕入れ店とした。俊次死後の高利の行動は非常に迅速且つエネルギッシュで、高利がこの機会を長い年月ひたすら待っていた事が窺える。この江戸と京都の小さな店舗が、近世最大の商人・三井越後屋の誕生を告げる巨大な一歩となる。三井越後屋は当時一般的な掛け売りでなく、安く売れる現金払いの方式を始めて、繁盛した。

 「商売記」に、呉服仲間から営業妨害を受けた話が記載されている。福井藩主の松平家に、出入りの松屋より安く売った事が原因。大事な得意先を奪われた松屋は、本町、本石町の呉服屋と連携して、三井との取引を停止し、仲間外れとした。三井は、京都からの仕入れルートを確保し、密かに近隣の駿河町の売り家を購入して引っ越す(1683年)などして、この苦境を乗り切った。
 三井は、いつ頃からか両替業にも進出した。そして、幕府の御用商人としての地位を獲得し、一層の飛躍を遂げる。

 高利は1694年に自らの死期を悟り、以下の内容の遺言を残す。「高利の子供達による兄弟中という共同組織を作り、巨大な遺産を分割せずに、呉服と金融を軸に三都を中心に活動するように。」

 三井越後屋は本拠を京都に置いていた。京都に初めて進出したのは、江戸の本町1丁目に小店舗を開設したのと同時の1673年。最初は室町通二条下ル蛸薬師町東側に店を持ったが、1704年に、蛸薬師町の北隣、冷泉町西側に京本店を移設した。そして、享保年間までには京都市中でも最大規模の地主となる。三井のような巨大な社会的権力の登場により、初期の町を彩った小規模な町人が次々と消滅する。
by utashima | 2012-01-26 20:56 | 読書 | Trackback | Comments(0)

自宅PCが絶命か?

 1月22日の昼前、自宅のPCのマウスがフリーズした。PCとマウスの接続を確認し問題なし。どうしようかと考えていると、液晶画面が真っ暗に。兎に角、再起動しようと思い、PCの電源ボタンを押し続けて電源を落とした。次に、その電源ボタンを押してPCを起動。

 BIOS画面の後、ディスク・チェック機能が動き始めた。PCを眺めていたかったが、娘を駅まで送る時間が来ていたので、PCはそのままにして出かけた。

 小一時間して帰ってみると、Windows Xp のいつもの画面になっていた。マウス・カーソルも動く。一応安心した。ディスク・チェックは済んでいると思ったので、デフラグをしようとした。Cドライブのデフラグは完了したが、Dドライブのデフラグをしようとすると、確か「chkdsk /f」を実行せよ、というようなエラーメッセージが出るだけで、デフラグには進まない。再起動直後に自動的に行なわれたチェック・ディスクは、Cドライブだけだったのだろうと思い(途中で娘を送りに行ったので、全部を見ていない)、Dドライブのチェック・ディスクも再起動して行なった。
 その後も、「chkdsk /f」を実行せよ、というエラーメッセージが出て、デフラグできなかった。

 そこで、以前にダウンロードしていた「UltimateDefrag」というソフトを使い、Dドライブをデフラグしてみた。デフラグできたが、6割以上フラグメンテーションが生じており、かなり時間を要した。やっと、元の状態に戻った。そして、Windowsのデフラグ機能も動くようになった。Windowsのデフラグ機能は、フラグメンテーションが酷い時には働かない。

 何故、酷いフラグメンテーション状態になったのかは分からない。このPCは今年で7年目なので、何か故障が発生したのだろう。「UltimateDefrag」が無かったら、どうなっていたか。
by utashima | 2012-01-22 20:24 | パソコン | Trackback | Comments(0)

『成熟する江戸(日本の歴史17)』(吉田伸之著)の第1章

第1章 18世紀、通史から全体史へ

 18世紀の日本をめぐる東アジアの国際環境は、前後の世紀に比べても格段に穏やかであった。17世紀半ば以来続いた華夷変態(中華=明が滅び、蛮夷=清が中原を征する)の最終過程で、清に協力した漢人軍団による大規模な反乱(三藩の乱)が1681年に平定され、東アジアの国際情勢は静謐となった。
 ロシアと中国の関係は、1689年のネルチンスク条約によって国境が定まり、安定した状態に入った。
 幕府が直轄する唯一の貿易システムである、長崎を介してのオランダ・中国との関係は、1715年に発令された正徳新例によって枠組みが定められ、幕末の外圧に至るまで続く。

 18世紀の徳川将軍は、以下の通り、7代にわたる。
   5代:綱吉(在位1680~1709年)   6代:家宣(在位1709~1712年)
   7代:家継(在位1713~1716年)   8代:吉宗(在位1716~1745年)
   9代:家重(在位1745~1760年)  10代:家治(在位1760~1786年)
  11代:家斉(在位1787~1837年)

 綱吉政権の末期の1707年(宝永4年)11月に富士山が大噴火している。家宣は、新井白石などを側近に置き、生類憐み令を撤廃し、幕領代官の粛正、貨幣改鋳、正徳新例など、改革を進めた。「正徳の治」という。家継は、家宣の四男。母は側室で浅草唯念寺住職の娘・月光院(お喜代)。徳川15代の中で最年少で将軍になった人物。1713年4月2日、将軍宣下を受けて第7代将軍に就任。この時、4歳にもなっていなかった。

 家継の死により、秀忠の血統が途絶えた。初めて、御三家の一つ紀州藩徳川氏から将軍を迎えた。吉宗である。吉宗は、家康の曾孫に当たり、1705年から紀州藩主となり、財政再建を軸とする藩政改革を実施中だった。
 吉宗は、老中の合議制ではなく、新たにおいた御用取次と旧来からの三奉行(寺社、町、勘定)を権力の中枢に置く。町奉行には、大岡忠助を任じた。現在では大岡越前として知られている。
 吉宗は、自身の血統を強化する観点から、新たに、世子家重の弟宗武に田安家を、末弟宗尹(むねただ)に一橋家を興させ、宗家の継承権を持たせた。後に、家重が次男重好に創始させた清水家と併せて、吉宗直系の御三卿がこうして設立された。
 吉宗の政治(享保改革)の柱は、年貢増収政策、通貨政策、都市・農村政策である。年貢増収政策では、山野河海を対象とする新田開発が有力商人の資金を活用して精力的に実施された。開発された新田は、幕領に編入され、その結果、1722年に410万石であった幕領石高は、50万石、12.2%も増大した。

 吉宗は、1745年に将軍を辞し、1751年に没するまで西丸の大御所として9代将軍家重を後見した。家重は病弱で、1760年には将軍職を長男家治に譲った。9代・10代の時期の政治において、脆弱な将軍を補う形で幕閣に君臨した田沼意次の存在が大きい。1767年には側用人、1772年には老中となった。1750年代終わり頃から失脚する1786年までを田沼時代と呼ぶ。田沼時代を彩るのは、流通政策、蝦夷地開発政策、印旛沼開発計画、一揆対策など。

 天候の不順や浅間山の大噴火(1783年)などを契機にして、東北地方を中心に全国レベルで未曾有の規模に達した天明飢饉と、困窮した民衆による一揆・打ちこわしが全国の都市や在地社会で荒れ狂う中で、1786年、将軍家治が没し、直後に田沼意次が老中を罷免される。1787年、15歳の家斉が11代将軍になる。その年の5月に、30歳の松平定信が抜擢されて老中首座となり、家斉を補佐し、田沼派を一掃して寛政の改革が開始される。
 定信は、田安宗武の子、すなわち吉宗の孫である。一度は家治の世子になりかかったが、田沼等に妨害され白河藩松平氏に養子に出され、1783年に白河藩主となっていた。寛政の改革のポイントは、①年貢減免、人返し等による農村政策、②特権商人の市場独占を規制し、都市商人資本を抑圧、③飢饉や貧困に対する恒常的施策、等。

 将軍の直臣で御目見(将軍に謁見できる格)以上の武士身分の内、1万石以下を旗本といい、1712年に約5400家にも達した。大半は500~3000石の間に分布した。
 村は、1722年当時、全国に6万3976を数えた。1村当たりの平均石高は408石、平均人口は404人とされている。町は、全国で1万程度あり、1町の人口も300~400人とみられる。

 江戸の町を描いた『熙代勝覧(きだいしょうらん)』という絵巻物が、ベルリン国立アジア美術館(通称・ダーレム博物館)に展示されている。これは、1950年代にあるドイツ人医師が日本滞在中に入手したもので、1980年代に他のコレクションと共に同館に寄贈されたという。細かい入手経路などは未詳。縦0.44m、横12.3mの長大な絵巻。作者は未詳で、制作年は1805年という。18世紀が達成した巨大都市・江戸の成熟が描かれている。
 熙代勝覧は、神田の今川橋から日本橋通りを約700m南下して日本橋に至る街路を、東側上空から俯瞰する形で描写されている。熙代勝覧のコピーは、2009年11月から、東京メトロ「三越前」駅地下コンコース壁面に常設展示されている。また、こちらのサイトから8.5MBのJPEGファイルとしてダウンロードできる。お楽しみ下さい。
by utashima | 2012-01-08 22:39 | 読書 | Trackback | Comments(0)