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『織豊政権と江戸幕府(日本の歴史15)』(池上裕子著)の第7章

第7章 秀吉の重商政策と都市の発展

 秀吉は信長が始めた石高制による支配体制を全国に及ぼし、封建社会の枠組みを完成させた。安土にまさる城と城下町を作り、全国の大名の屋敷を城下に造らせ、近世の武家政権の「首都」の理想型を完成させた。

 1583年、秀吉が、近江や京都でなく、大坂に築城を開始したのは、西国の掌握と共に、流通の大動脈である瀬戸内海の掌握、その先にある貿易の掌握を強く意図したからである。九州平定により、貿易拠点の博多・長崎を直轄領とし、海賊停止令などによって村上水軍その他の流通路支配を断ち切った。秀吉は、来航した船の生糸を買い占め、それを畿内に運ばせて高く売り付け、貿易独占の利を欲しいままにした。

 現在の大坂城の本丸・天守部分は、夏の陣の後に、秀吉時代のそれを凌ぐように江戸幕府によって築造された姿が元になっている。江戸幕府は、秀吉時代の遺構を地下に封じ込め、盛土をして巨大な石垣を組み直して天守閣も大きくした。現在の天守閣は明治元年に焼失したのを昭和6年に鉄筋コンクリートで再建したもの。

 宣教師フロイスは、1583年11月、秀吉が天皇や五山などの寺院を大坂城下に移転させようとしているとの伝聞を記している。遷都構想があったのは間違いなさそうだ。

 貿易商人のいる堺は大坂の外港と位置づけられ大坂との一体感を創出する必要があった。しかし、堺は1596年の大地震(下の注を参照)で壊滅的な被害を受け、その機能を失い、徐々に大坂の船場にとってかわられた。船場は低湿地のため土を盛り、排水溝を巡らせて、港の機能を整備した新しい城下町地区となった。大坂に、人口20万人といわれる日本で最大の都市が創出された。


(注)慶長年間(1596年-1615年)に以下のような大地震が発生している。ウィキペディアより。
慶長伊予地震 : 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線における地震。
大分地震(慶長豊後地震) : 1596年9月4日、豊後国をおそった地震。M 7.0~7.8、死者710人。中央構造線と連続している可能性がある別府湾・日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震である。
慶長伏見地震 : 1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。六甲・淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。
慶長大地震 : 1605年2月3日、東海・東南海・南海連動型地震でM 7.9~8.0。地震動による被害は少なかったが太平洋岸で津波が発生し、死者1~2万人を数えた。
会津地震(慶長会津地震) : 1611年9月27日、会津地方をおそった直下型地震。M 6.9。寺社損壊、死者3,700人。
慶長三陸地震(慶長三陸地震津波) : 1611年12月2日に三陸沖を震源として発生した地震。M8.1。津波による死者・被害甚大。津波は、田老や大船渡で最高20m前後の高さであったと推定されている。

[追記(2011年12月27日)]
 慶長三陸地震津波は、実は北海道東方沖に発生した巨大地震が齎したものである事を、北海道大学大学院の平川一臣教授が堆積物の調査から発見した。NHKのETV特集 シリーズ大震災発掘第2回の番組を見て知った。
by utashima | 2011-08-23 14:39 | 読書 | Trackback | Comments(0)

初(?)の胃カメラによる検査

 本日(2011年8月13日土曜日)の朝、多分初の胃カメラによる検査を受けた。別に胃に症状がある訳ではない。会社の健康診断で年齢が上になると胃のレントゲン検査がオプションとしてあったと思う。しかし、1994年を最後に、受けていなかった。硫酸バリウムを飲むのが嫌だったので。
 
 しかし、今年60歳の還暦を迎え、ここまで17年位も検査を受けていなかったので、ホーム・ドクターに紹介して貰って胃カメラによる検査を受けることにした。筑波病院で今朝検査を受けてきた。

 タイトルに初(?)としたのは、本当に胃カメラを飲むのが初なのか、自信がないから。若い頃から胃腸が弱かったので、もしかしたら20代の半ばに、筑波大学病院で胃カメラを飲んでいたかも知れない。先週に、予約のために筑波病院に行った時、「今の胃カメラは、40年前に比べたらずっと進歩していますよ。」と言われた。ネットで調べてみると、以前はファイバー内視鏡が使われていたが、曲がり難いなどの難点があり、今は CCD を先端に付けた内視鏡(電子スコープ)が使われているらしい。今回の撮影も電子スコープだったと思われる。

 今朝、病院に行ってから約1時間で全てを終えて帰って来た。カメラに繋がるケーブルの直径は見た目には1cm程度に見え、意外と太いなと思ったが、オエッとなる事もなく撮影を終えた。撮影していた時間は、数分間だったように思う。一番心配したのは、最近風邪を引き、咳が続く事があったことである。胃カメラを飲んでいる時に咳が出たらどうなるのかが心配だった。幸い、咳は出ず、無事に終えた。

 撮影結果は、ホーム・ドクターに報告書を持参する時に詳細を聞く予定だが、撮影直後の先生のお話では、問題なしだった。
by utashima | 2011-08-13 11:36 | イベント | Trackback | Comments(0)

ラグランジュ点の定性的説明(by 田中彰氏)

 本記事では、田中彰氏による 『ラグランジュ点の定性的説明』 を紹介する。

 田中氏は、私が1976年に旧NASDA に入社以来約10年間、一緒に仕事をした先輩である。私は1976年4月に旧NASDA に入社し、数ヶ月の研修の後、筑波宇宙センターの追跡管制開発室(この名称は何度か変更になっている)に配属された。当時は、日本初の静止衛星ETS-Ⅱの打上げ前であり、その後には静止気象衛星GMS(ひまわり)、静止通信衛星CS(さくら)、放送衛星BS(ゆり)などの静止衛星の打上げを控えていた。追跡管制開発室では、主にこれらの静止衛星の追跡管制に必要な研究開発を担当していた。その室の中で私は、軌道制御・姿勢制御に必要な地上ソフトの研究開発グループに配属となり、3年程前からそのグループで勤務されていた田中氏と共に研究開発に携わった。

 次に、田中氏が 『ラグランジュ点の定性的説明』 を作成しようとの思いに至った経緯・動機を、御本人の言葉で記す。

『ラグランジュ点の定性的説明』 の作成経緯等
 人工衛星に関することを調べていたら、L2ポイントに投入、というのがあった。5つのラグランジュ点のそれぞれが何処であったか、確認のためインターネットを調べた。
 最初に見た記事に 「L3ポイントが軌道の外側」 というのがあり驚いた。なぜなら、四半世紀程前に一緒に仕事をしていた広田正夫氏が3体問題の特殊解(ラグランジュ点)を解いて見せてくれたのでは 「L3ポイントは軌道の内側」 だったのを覚えていたからである。
 そこで、5つのラグランジュ点が何故そこに存在するのかを定性的に説明してみようと試みた。

 ラグランジュ点に関して納得できる説明ができたので、近くで仕事をしている昔の仲間の堀井道明氏に見てもらってコメントを頂いた。さらに、順序だてて説明するため、天体運動の基本的な解説を加えた。

 インターネットで答えの違う記事があることに関し、正しい情報を発信するのが気付いた人の役割だと思い、長年にわたりこの分野で活躍されている歌島昌由氏に内容の点検と公開の方法について相談したところ、氏のブログに乗せていただけることになった。
 この分野に関係している方だけでなく、広範囲の方々の目に留まり、少しでも多くの方が天体の運動に興味を持って頂けたら幸甚です。

『ラグランジュ点の定性的説明』(PDF)のダウンロード・表示には、左の下線部をクリックして下さい。
by utashima | 2011-08-11 18:53 | 宇宙機の軌道設計/ 解析 | Trackback | Comments(4)

『織豊政権と江戸幕府(日本の歴史15)』(池上裕子著)の第6章

第6章 村の世界

 秀吉が信長の部将として浅井長政の旧領を与えられると、村々に指出(さしだし)の提出を命じた。新領主が支配を開始するに当たり、村は百姓指出を提出し、旧領主の支配の内容を先例として申告して新領主に承諾させ、村は負担を請け負うという手続きをとるのが一般的であった。15~16世紀にかけて、村が年貢などの納入を請け負う村請が広く成立した。名主・年寄・庄屋などと呼ばれる人々が、年貢などを集める実務を担当した。

 村落間の紛争が発生すると、領主が裁判を行なうが、新領主にその地域の慣行や先例が分かっていないため、正しい判断を下すのが困難な場合がある。その場合、神判に頼るほかなかった。争っている双方の代表者に神前で、熱湯の中に手を入れさせる湯起請(ゆぎしょう)や熱した鉄を握らせる鉄火を科して、火傷の程度の大きい方や熱鉄を先に投げ捨てた方を敗訴とする過酷な方式をとった。

 秀吉は1598年、越後の上杉景勝に会津への転封を命じた。秀吉は、「奉公人は全部連れていき、検地帳面の百姓は越後に残せ」と言ったが、当時は兵農未分離だったため、実現は無理だった。兄弟で、会津に行く者と越後に留まる者に分かれた例も少なくない。越後に留まる者は兵の身分を失い、会津へ行った者は農の道を捨てるしかなかった。
by utashima | 2011-08-07 21:20 | 読書 | Trackback | Comments(0)