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『室町人の精神(日本の歴史12)』(桜井英治著)の第5章

第5章 酔狂の世紀

 一休宗純(有名な一休さん)は、金春禅竹や村田珠光、連歌師宗長といった巨匠たちに絶大な影響を与えた東山文化の大立者。一休の後小松天皇落胤説にもさもありなんという気がしてくる。

 足利家の歴代将軍は、めっぽう酒に強かったが、皇室・公家の人々は概して酒に弱く、そのような人々には酒宴も苦痛であったかも知れない。貞成の『看聞日記』には「当座会(とうざのえ)」という言葉が頻出するが、酒で嘔吐する事をそのように言ったらしい。現代人からみると奇異な事だが、当時酒宴で嘔吐する事は少しも憚られなかったばかりか、むしろ座興とさえ考えられていた。

 義教時代の蕩尽的な酒宴を支えていたのは、幕府の潤沢な財源である。しかし、嘉吉の徳政一揆を境にして、幕府は深刻な財政難に陥る。幕府の財政当局者たちは新たな財源を求めて様々な錬金術を駆使する。

 先ず目を付けたのは、年末年始や将軍家の祝賀行事の際に人々が将軍家に献上する銭、折紙銭であった。先ず金額を書いた折紙を先方に贈り、銭は後日渡しにするのが一般的であった。幕府は折紙方奉行を任命し、折紙銭の回収にあたらせた。

 幕府は更に献物も財源にする。将軍は毎月数ヶ所の五山禅院に御成するのを常とし、寺院は将軍に引出物を贈るのが習わしであった。これを献物といった。将軍は何回御成をこなせばどれだけの献物が得られるかが容易に計算できた。そこで幕府は、寺院A が将軍に献上した献物を、造営・修理を必要とする寺院B にそのまま寄進するという事をした。義政は連日のように五山禅院への御成を繰り返した。義政時代の幕府財政は、急速に贈与への依存を深めた。

 幕府は、徳政奉書申請者に債務破棄を認める代償として債務額の1/10を幕府に納入させるという、徳政分一銭の制度を創出した。後には1/5 に増税された。逆に、債権者が債権保護を求める場合にも、もとの1/5 の賦課率が適用されることになった。

 これらの財政再建の工夫は幕府の品格の低下、節操のなさとして否定的に評価されることが多かった。しかし、全ての財政的失敗を次世代へのツケにして平然としている現代人 (現時点で900兆円を超える国家借金) に、彼らの再建努力をあざ笑う資格がどれだけあるだろうか、と著者は書いている。
by utashima | 2010-09-22 21:48 | 読書 | Trackback | Comments(0)

IAF Congress '93 で訪れた Graz

 1992年の夏からフォボス(火星の第一衛星)探査検討会に参加し、フォボス周回軌道の設計を進めた。予想外の不安定性に気付き、翌年の1993年の IAF Congress にて発表する事になった。学会発表で外国に行くのは、私にとってその時が初めてだった。従って、前以て Graz の街を調べる余裕はなかった。

 先日、NHK から『世界遺産への招待状 (グラーツ歴史地区)』が放映された。この番組を見て、グラーツの歴史の概要を知った。Congress の会場は、歴史地区の中にあり、テレビでグラーツの街を見ていると、当時の記憶がよみがえって来た。

 当時の足跡をグラーツの地図に記した。

 A310に乗り、モスクワ経由でウィーンに行き、FOKKER 50(38人乗りのターボプロップ機)でグラーツに向かった。モスクワでは、機を降りて空港内を歩いたが、どこも電気が殆ど消えていて、寂しい雰囲気だった。グラーツ空港に着いたのは、夜遅かった。学会参加ツアーで行ったので、旅行代理店のチャーターしたバスでホテルに着いた。ホテルは、グラーツ駅前にあったと思う。Congress 会場とホテルの距離は、2km足らずなので、歩いても通えたが、1週間程度使える市内電車のチケットを購入した。

 毎日駅前のホテルから市内電車で歴史地区に入り、Congress 会場に。歴史地区に近づくと、前方に時計塔が目に付く。当時は時計塔を含む一体の小高い山(中世に造られた要塞)の歴史も知らず、ただ遠くが良く見えそうと思って、ある日の午後、歩いて登った。時計塔の近くに売店があり、そこで猫の置物を買ったのを覚えている。観光と言えるのは、この時計塔付近を訪れた事だけで、グラーツからの帰路に就いた。

 帰路の航空機では、オーストリアの女性が横に座っていた。横の女性とはモスクワを経った頃から話し始めた。彼女から東京へ帰るのかと聞いてきた。その後、話が続いた。彼女は生物学者であり、皮膚が専門。京都での会議に出席する。東京へ日帰りの観光もすると言っていた。

 この Congress では、ISAS の川口淳一郎氏の紹介により、ハロー軌道で有名な Prof. Farquhar と話す事もでき、収穫の多い学会出張だった。
by utashima | 2010-09-19 11:36 | イベント | Trackback | Comments(0)

『室町人の精神(日本の歴史12)』(桜井英治著)の第4章

第4章 徳政一揆

 足利義勝の継嗣が確定した1441年8月、京都周辺の土民らが債務破棄を求めて土倉(どそう、金融業者の事)を襲撃した、「嘉吉の徳政一揆」が起こった。借金未済の質物や売却した土地をただで取り戻そうという、現代人の目から見れば理不尽この上ない行為が平然と行なわれ、徳政の名で呼ばれたのが、中世であった。この徳政という観念について、解明の糸口が見えてきたのはごく最近の事。中世人は、「あるべき所に戻す政治こそが、徳政の本質である」と考え、百姓たちは、土地は「本主のもとに取り戻す事によって生命をよみがえらせ、本来の姿に帰る」と考えていた。つまり、売買・質入れ・寄進などの移転行為を経てもなお消滅しない本主の権利の根強さ、それが徳政一揆の要求に正当性を付与していた。
 また、新たな将軍の代が始まると、前将軍の時代に形成された諸関係が清算されるとも考えていた。

 徳政一揆・徳政令の背景には、上記の本主の権利思想の他に、中世に広く存在していた有徳思想(富者は貧者を救うべし)もあった。
by utashima | 2010-09-18 14:40 | 読書 | Trackback | Comments(0)

電球形蛍光灯の寿命(2)

 昨日、階段の照明の電球型蛍光灯が切れた。この蛍光灯は、本ブログのこちらの記事の最後に記した Panasonic のもの。2007年8月から使い始めていた。昨日まで、3年間使った。毎日12時間位使っているので、計13000時間使えた事になる。今日買ってきた Panasonic パルックボールの定格寿命を見ると、13000時間と書いてある。設計通りの寿命が達成された。
by utashima | 2010-09-12 18:34 | 省エネルギー | Trackback | Comments(2)

『室町人の精神(日本の歴史12)』(桜井英治著)の第3章

第3章 「無為」と「外聞」

 将軍家家督を継承した義教が真っ先に着手したのは、義持時代の例を廃して、義満時代の旧儀に復する事だった。義持時代に失脚した人々を名誉回復した。義教には兄義持を嫌悪していたところがあったが、義教の政治顧問であった三宝院満済によって誘導された部分もあった。

 義教時代の訴訟においては、殆どが原告勝訴であった。義教にとって裁判の迅速化は、公正さを犠牲にしてでも優先しなければならない事だった。義教は、尊卑・親疎によらず公正に審理を行なうよう奉行人たちに厳命しているが、義教が目指した奉行人たちの意識改革は失敗に終わる。義教は次第に精神を病んで行き、暴君へと変貌していく。義教によって処罰を受けた人々の数は、ゆうに200名を超える。「万人恐怖の世」であった。義教は年を追う毎に凶暴性を増した。持病である精神疾患の悪化もその一因であるが、義教の暴走を食い止めてきた畠山満家が1433年に世を去った事の影響も大きい。満家の死によって義教政権は理性を失い、迷走して行く。

 1433年7月に山門延暦寺が光聚院猷秀(こうじゅいんゆうしゅう)の不正を訴えて嗷訴(ごうそ)を起こした。猷秀から賄賂を受け取って便宜を図った近習赤松満政と山門奉行を糾弾した。嗷訴に激しい嫌悪感を抱いていた義教であったが、猷秀と山門奉行の流罪を認めた。すっきりとは解決しない状況の1434年頃、山門と関東公方とが通謀しているとの噂が広まった。義教は、山門に対して経済封鎖を行なった。1435年にこの山門騒動は悲劇的な幕切れをみせた。関東管領の上杉憲実は、関東公方の足利持氏の野心を機転と諫言によって抑えてきたが、1437年に持氏が憲実の討伐を企てた。両者の戦いに、義教が憲実を支援して参戦し、永享の乱が勃発。1438年である。翌1439年に終了。

 1440年には下総の結城氏朝が足利持氏の遺児を擁して挙兵。結城合戦の始まり。1441年6月24日には、嘉吉(かきつ)の変が起きた。赤松満祐親子が戦勝祝賀と称して義教を自宅に招き、猿楽と酒宴でもてなした。宴たけなわの頃、義教の背後の障子が開いて甲冑の武者数十人が乱入し、義教の首をはねた。この事件は諸大名との共謀が疑われたが、赤松父子の単独犯行と考えるべきだろうと著者は書いている。貞成(後花園天皇の父)は、義教の満祐討伐の意図を知った満祐側が先手を打ったと書いている。

 嘉吉の変の翌日、諸大名は評定会議を開いて義教の長子で8歳になる千也茶丸(ちやちゃまる)を継嗣に決定し、管領細川持之が政務を代行することになった。8月には足利千也茶丸は元服して義勝と名乗る。この名前は、後花園天皇が選んだ可能性が高い。
by utashima | 2010-09-07 21:44 | 読書 | Trackback | Comments(0)