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『武士の成長と院政(日本の歴史07)』(下向井龍彦著) 第5章

第5章 激動の院政

1.荘園公領制と後期王朝国家

 10~11世紀半ばの前期王朝国家体制のもとでは、封主(大寺社・公卿)の主な収入は、国衙が徴収した封物(ふうもつ)であった。この頃の荘園は、封主にとって主たる収入源ではなかった。しかし、封物の未進分(滞納分)の穴埋めのために、受領は国衙領の一部の租税収納権を封主に与えるケースが増えて来た。国免荘と呼ばれる。政府は国免荘をまだ公認していない。

 11世紀に入ると、内裏焼失や大寺院の焼亡が重なり、臨時課税が必要な事態が増えて来た。国衙領だけでは臨時課税に応じる事が困難になる。そこで、非課税特権が認められていた国免荘からも臨時課税を課す方針に変更した。そのために発布されたのが「長久の荘園整理令」である。1040年6月である。前任者の時代までの国免荘を荘園として政府が認める代わりに、臨時課税の対象とした。これにより、国衙領(公領)と荘園は対等の立場になり、これ以降の社会の仕組みを荘園公領制と呼ぶ。国衙と荘園の関係は対立的となり、両者間の紛争が激増する。

 1069年(延久元年)、後三条天皇は荘園整理令を実施し、政府の手で荘園と公領の区分を徹底的に行なった。著者は、この頃を以て、後期王朝国家体制の出発としている。しかし、荘園公領制が安定するには、鎌倉幕府の登場を待たねばならなかった。

 国衙と荘園は対等の立場となったため、従来のように国衙が追捕官符を政府に要請し、それを基に国内武士を動員する国衙軍制が機能しなくなる。国内武士は自己の所領支配に関係しない問題では動員に応じなくなった。そのため、中央から追討使を派遣して反乱を鎮圧する方式となる。追討使には源氏平氏の有力武士が任命された。源氏は、前九年の役、後三年の役で東国武士を従えて活躍したが、平氏は白河院や鳥羽院に起用され、西国武士を従える棟梁として急成長する。


2.院政への道

 律令軍制が新羅侵攻を想定していたのに対し、王朝国家軍制は犯罪鎮圧のための動員機構であった。摂関政治はこのような王朝国家に適合していた。摂関政治は、天皇は藤原氏の女性を生母としなければならないという皇位継承理念のもとに、藤原北家の嫡流が天皇の外戚の地位を独占し、摂政関白として天皇大権を代行または補佐する政治形態である。奈良時代の皇位継承をめぐる抗争が、しばしば軍事クーデターであり、敗者の処刑という激烈なかたちをとったのとは大きく異なっている。

 摂関政治の行き詰まりは、国内的事情から始まった。儀礼国家の儀礼の舞台である内裏の再建費が調達できなくなり新たな調達方式を導入しなければならなかった事、儀礼国家を仏法で護持してきた寺社勢力がその仏法によって国家に抗議行動を取るようになった事であった。

 長久の荘園整理令を契機に、地方社会は荘園公領制へ向かって動き始め、荘園と国衙の間の紛争が増える。天台宗の円仁派と円珍派の対立による園城寺戒壇設立問題なども発生する。これらの問題に対し決然と裁定する事が求められたが、天皇と関白(藤原頼通)は互いに責任の押し付け合いを行なっていた。

 1068年、後冷泉天皇が死去後、35歳の後三条天皇が即位する。170年振りに藤原氏を生母としない天皇であった。後三条天皇、次の白河天皇は、摂関家を頼通流に固定する道を選ぶ。後三条天皇は、皇太子時代から有能な近臣集団を作り、政治改革への意欲を燃やしていた。後三条天皇は、1069年、前述のように、荘園整理令を実施し、政府の手で荘園と公領の区分を徹底的に行なった。

 1072年、後三条は息子の白河に譲位した。と同時に、2歳の次子を皇太弟とし、皇位継承は自分の意志で行なう事を表明した。後三条は、上皇が次の天皇を決めるという新しい皇位継承のあり方を作りだした。この後三条の譲位は院政の開始と言える。しかし、皇太弟は15歳で死去し、白河後は堀河、鳥羽、崇徳と白河の直系の即位が続く。また、白河は、摂関家が外戚関係とは関わりなく摂政になるという先例を生み出した。

 院政期の公卿たちは、国家の大事の時、院御所に集まって意見を述べた後、院に決裁を委ねた。摂関期には公卿議定の意見を踏まえた摂関の助言にもとづいて天皇が決裁を下していた。


3.院政の権力構造

 平正盛は、白河院の関係者に伊賀国鞆田村を寄進して院の寵愛を受け、源氏に対抗する武家の棟梁として育成されていった。院近臣は若い内から受領に任じられ、その後も実入りの良い国の受領に指定席のように任じられて巨万の富を蓄えて行く。このような院近臣受領の任国支配が、ますます荘園と公領の紛争を拡大させた。白河院は、「天下の政をとること57年、意に任せ法に拘らず除目叙位を行なった」と評された。近臣優先の除目叙位は、従来の昇進ルートを崩壊させた。院の人事支配は、貴族たちの職務に対する無責任と無気力をはびこらせた。貴族社会は内部から腐食していき、院はますます専制化する。

 白河院は、仏法によって神威と皇統を守護することを祈念して、1077年に法勝寺(ほっしょうじ)を造立。その後、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺が次々と造営され、六勝寺と呼ばれた。その財源として、莫大な院領荘園が立荘されていった。白河院は、法勝寺を全仏教勢力の頂点に位置付け、仏教勢力を統制・掌握しようとした。院は、このような政策により、僧侶上層を支配していったが、僧侶下層は支配できなかった。寺院の最高意思決定機関は「満寺集会」と呼ばれる全僧徒が参加する場であった。下層の僧侶が袈裟で覆面し、国司の悪行の数々について大演説を行なったりした。著者は、1960年代末の学園紛争における全共闘の集会を思い出すと記している。こうして、満寺集会での僧侶下層の突き上げによって強訴の決定が行なわれ、数千人規模の寺社強訴が繰り返された。院権力は寺社勢力を統御しきれなかった。

[補足]
 2010年3月11日、法勝寺の幻の9重塔(高さ81m)の基礎が、京都市の試掘調査により市動物園(左京区岡崎)で見つかった。

4.院政下の源氏と平氏

 後三年の役より前、白河天皇は「武家の棟梁」の源義家の武力を大いに利用していた。白河は義家に天皇親衛隊長としての役割を期待した。しかし、義家には白河の近臣になる意思は無かった。それを見透かした白河は、譲位直後の1087年、後三年の役を私合戦と認定して義家に勲功賞を与えなかったばかりか、義家が1106年に死去するまで無官のまま放置した。白河院は義家の弟、義綱を引き立てる。義家の子供の義親、義国や、義家の弟の義光は、大宰府や常陸国や出雲で問題を起こし、義家は一門の将来に不安を抱きながら1106年に死去した。

 出雲で問題を起こした義親を追討するため、白河院は平正盛を追討使とする。院は、近臣の平正盛を新たな武家の棟梁としてデビューさせた。義親は正盛によって簡単に討ち取られたが、その後、義親と自称する人物が各地に出没する。正盛の義親追討は、八百長だった。なお、正盛は、平清盛の祖父である。

 義家の後継者となっていた義忠が暗殺され、義家の家督を継いだのは、義親の嫡子の為義だった。頼信、頼義、義家の三代にわたる勲功はあまりに大きく、東国武士を束ね得る潜勢力を持つ為義は、白河院・鳥羽院にとって危険ではあったが必要な存在だった。しかし、院は為義を恐れて受領や追討使にはせず抑圧した。為義の嫡子の義朝は、鳥羽院の近臣的な面があり、為義の家督は義朝に移行する。院政期は源氏にとって冬の時代だった。なお、義朝の子が鎌倉幕府を開いた頼朝である。為義は、長男義朝に、頼義以来の拠点である鎌倉の館を譲り、南関東の郎等達の掌握につとめさせる。

 正盛の子の忠盛も院から寵愛され、富を築く。しかし、公卿になる直前の1153年に逝去した。忠盛の嫡子清盛は、1154年に12歳で左兵衛佐に任じられ、貴族社会の仲間入りをする。院政期の瀬戸内海では、国衙や荘園の運京船に乗り込んで略奪する海賊が増えていた。院は、忠盛を海賊追討使に任じ、瀬戸内海を治めさせた。しかし、正盛や忠盛自身は、在京のまま、代理の郎等を追討に派遣するケースが多かった。西国武士は、ドライな打算だけで平氏三代の郎等になっていった。

 源義朝の軍勢は、近江、尾張、伊豆、相模、安房、武蔵、上総、下総、下野と、広範な東国諸国の郎等達によって構成されていたのに対し、平清盛の軍勢は、一門の他は伊勢・伊賀などの限られた諸国の郎等たちであった。この背景の違いが、源平合戦の帰趨を決する要因の一つとなる。
by utashima | 2009-11-28 12:12 | 読書 | Trackback | Comments(0)

地球温暖化で超高層大気密度が減少

 地球の大気密度モデルをネット上で調査していて興味深い事を知った。
 初めに、この文献(かなり大きいPDFファイル)を読み、MSISE-00大気密度モデルは、CHAMP, GRACE の高精度加速度計から得られた値よりも平均して約20%大きい大気密度を算出する事を知った。195頁の Figure 10.3 がその事を示している。

 次に、この文献を読んだ。これは、ANDERR という小型の球形衛星の高度低下を評価して、大気密度などを MSISE-00モデルと比較している。この文献も、モデルは約20%大きい大気密度を算出していると書いている。

 上記2つの文献では、モデルが大きい密度を算出する理由については言及していない。次に、この文献を読んでみた。2005年の資料である。これは、衛星軌道データを数十年間に亘って評価した結果、高度数百km付近の大気密度が10年間当たり数%減少している事を述べている。この減少傾向は、二酸化炭素などの温室効果ガスの増加によって生じる事が、既に理論計算で示されていたようだ。

 今後も、温室効果ガスの増加が続けば、大気密度が更に減少し、衛星の寿命は長くなって喜ばしいが、悪物であるデブリもなかなか落下しなくなり、こちらは困った問題となる。デブリは大気抵抗によって落下する事で宇宙空間から取り除かれている。この効果が小さくなると、運用中の衛星とデブリとの衝突が増え、更にはケスラー・シンドロームに至る恐れも生じる。温室効果ガスの増大が地球周回軌道の環境も悪化させる事に驚いている。
by utashima | 2009-11-26 20:52 | 宇宙開発トピックス | Trackback | Comments(0)

STEREO宇宙機がSolar Tsunami を2方向から観測

 Technobahn サイトを見て、標記の事実を知った。最近の Technobahn には日本語訳サイトがなくなり、余程関心のあるもの以外は読まなくなっていた。

 1996年に SOHO宇宙機(L1点から太陽を観測しているESAの宇宙機)が太陽表面に津波のような現象を観測したが、実際の現象ではなく探査機のカメラの何らかの問題によるものではないか、という疑問を呈する人も居たらしい。下の図がSOHOが捕えた画像。
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c0011875_1645233.jpg 現在、2基の STEREO 宇宙機は、右図のように、L4点とL5点付近をゆっくり地球から離れる方向に運動している。左側の宇宙機を STEREO-B (behind)、右側の宇宙機を STEREO-A (ahead) と呼んでいる。2009年2月に、STEREO-B のほぼ真下にあった黒点付近から CME (コロナ質量放出) が放出され、STEREO-B だけでなく、ほぼ真横から STEREO-A も同時に観測した。この観測により、Solar Tsunami は実在の現象である事が裏付けられた。2つの STEREO 宇宙機の観測画像を以下に掲げる。

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 詳細は、この STEREO サイトをご覧下さい。動画も有ります。
by utashima | 2009-11-23 15:35 | 宇宙開発トピックス | Trackback | Comments(0)

2009年のつくば市の紅葉

c0011875_14364711.jpg 11月23日勤労感謝の日は、雲一つない快晴で比較的暖かかったので、つくば市内の洞峰公園に紅葉を見に自転車で出かけた。最初の写真は、途中の遊歩道で撮った紅葉。

 次の写真は、洞峰公園の湖畔の喫茶店(正式名称:筑波新都市記念館)。
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ここで、水彩画パレット展が開催されていた。
 次の写真は、その喫茶店の入口付近から西大通り方向の眺め。例年ここで撮影している。
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by utashima | 2009-11-23 14:36 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)

しし座流星群?

 今月初めから、オーロラ中継サイト(アラスカの空を観測)にアクセスし、楽しんでいる。流星群も見る事ができる。11月18日をピークとするしし座流星群を、このサイトで見る事ができるかと毎晩アクセスしてみた。11月14日~19日の間に2つの流れ星を見つけた。11月14日12時06分JST頃と11月16日23時34分JST頃の画像を以下に掲げる。しし座流星群だろうか? 16日の画像の緑色はオーロラの色である。
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by utashima | 2009-11-19 21:13 | 宇宙開発トピックス | Trackback | Comments(0)

『宇宙天気』(篠原 学著)

 ウォーキング途中に寄った書店で、標記の本を見つけた。今年9月末発行の新しい本である。以下の章建てから成っている。
第1章 宇宙天気ってなに?
第2章 太陽風
第3章 地球と磁気圏
第4章 オーロラ
第5章 太陽
第6章 太陽からオーロラへ
第7章 太陽の11年周期
第8章 宇宙天気予報

 私たちは超低高度衛星技術試験機(SLATS:Super Low Altitude Test Satellite)を200km付近の高度に飛ばそうと頑張っている。太陽活動(フレアやCME(コロナ質量放出)等)は、通常の衛星にもしばしば大きな影響を与えて来た。通常の地球観測衛星は高度500km以上を飛行しており、太陽活動に伴う色々な悪影響を受けて1時的に不具合を生じ、安全モードに入ったとしても、地上からのコマンド運用などにより、復旧できる可能性がある。しかし、高度200km付近を飛行する超低高度衛星では、CMEの到来により大気密度が急に増大したり、電気推進系の推力を発生出来なくなったりすると、短期間に落下する恐れがある。そのため、通常の衛星以上に、太陽活動による影響を検討している。

 私は、1年余り前から文献等で太陽活動の事を調べて来た。現在、ほぼ1次検討を終えた段階であるが、1年前にこの本に出会えていたら、もっと効率的に調査ができたであろう。とても分かり易く書かれている。オーロラ中継サイトの事も書かれており、早速アクセスしてみると、運良く2日目の昨日、オーロラを実時間で堪能できた。太陽風の磁場変化との対応も確認でき、勉強になった。
by utashima | 2009-11-09 21:11 | 読書 | Trackback | Comments(0)

オーロラの実時間映像配信サイト

 『宇宙天気』(篠原 学著)を読んで、オーロラの実時間映像を配信しているサイトを知った。この本の内容については、後日紹介したい。

 このオーロラ実時間映像配信サイトを昨日から見始めた。アラスカのフェアバンクス郊外で見られるオーロラ映像を実時間で配信している。会員登録が必要であるが無料である。昨日は、オーロラは見えなかった。月明かりの映像のみだった。今は太陽活動は最低レベルなのでオーロラは無理なのだろうと思っていた。

 私の自宅 PC は、ブラウザ LUNASCAPE を立ち上げると、このオーロラ・サイトも読み込むように設定している。今日も、夕方から PC を時々覗いていた。NHK の大河ドラマを見終えて PC 画面を眺めていると、何とオーロラのような映像が表示されている。本物のオーロラだろうかと半信半疑だった。数分すると、そのサイトから「オーロラ出現メール」が届いた。本物だったのだ。それから、数分毎に映像をキャプチャーした。それらを時刻順に以下に掲げる。
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 右上の明るいものは、月である。緑色に見えるのが、オーロラである。この映像は、2分間隔で配信されているものをキャプチャーしたもの。別に、本当に実時間の映像もあるが、そちらは画面が暗くて見え難い。何故、今頃オーロラが見えるのかと思い、NOAAのACE のサイトを覗いてみた。そのサイトのグラフを以下に掲げる。
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このグラフの一番上のグラフの赤色の線が、太陽風磁場のz成分Bzを表わしている。今日の9時UT 頃から、Bzが大きく負になっている。-10nT近くになっており、かなり強い部類に入る。Bzが大きく負になると、地球磁場と太陽風磁場の間で磁力線の繋ぎ換えが起こり、太陽からの粒子が地球の極域に大量に侵入して来る。それがオーロラを発生させる。2日目にして、このような現象を見る事ができ、ラッキーだった。
by utashima | 2009-11-08 21:54 | 宇宙開発トピックス | Trackback | Comments(0)

『松井秀喜 MVPへの道』(NHK番組)

 昨日放送された標記の番組を今朝観た。昨日の10時からは、サイエンスZERO『ミトコンドリアの新常識』も見たかったので、標記の番組は HDD に録画して今朝観た。

 巨人時代から松井秀喜のファンである。2003年にヤンキースに移ってからは、日本のプロ野球を殆ど見なくなった。その代わり、日々の新聞やスポーツニュース番組で、彼の活躍を知る度に元気を貰って来た。2006年の手首の骨折以降、苦しい日々が続く。その後、左右の膝の手術もしている。ここ数年のヤンキースの不振もあり、ワールド・シリーズ優勝という彼の夢の実現は困難と思っていた。従って、今年のワールド・シリーズ第6戦の彼の大活躍は、正に奇跡と感じた。その背後には、彼の強い精神力と努力がある。

 この番組は、DVD にダビングして残す。
by utashima | 2009-11-08 10:53 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

職場のPCの故障・交換

 本日(11月6日)の朝、私が机上で使っている PC が故障。すぐに JAXA 内の PC を管理している部署に電話。結果的には、故障したPC の内臓ハードディスクを、新しい PC の内臓ハードディスクと交換して、新しい PC を持って来て貰った。新しい PC も同じ機種であるが、何故か液晶ディスプレーの発色が今までのものより綺麗。内臓ハードディスクは旧PC のものなので、そのまま継続使用できる。以下に、今回の故障の経緯を記す。なお、故障した PC は、今年1月に配布されて、まだ1年も経っていないもの。

 実は、前日の11月5日に最初の異常が発生していた。朝出勤して、机上のPC の電源を入れた。画面は暗いまま。PC から信号が来ていないと書かれた小ウィンドウは表示される。液晶自体は正常らしい。PC の方も、ランプは点いており、CD トレイも動作する。何度か、PC の電源のオンオフを繰り返したが、症状は同じ。 PC の管理部署に電話し、担当者に見に来て貰った。PC を新しいものと交換しましょうという事になり、担当者が PC を動かそうと手を PC の後ろに回した時、ディスプレーへの接続端子に手が触れ、その結果、信号がディスプレーに来るようになった。正常に起動した。担当者から、PC を交換するか使い続けるかを聞かれた。私は、今回は使い続けようと判断した。

 今朝、PC の電源を入れると、昨日と同様に起動しない。PC の裏側のディスプレー端子に力を加えてみたがダメだった。この時点で、交換して貰う事に決めた。幸い、内臓ハードディスクは正常らしいので、新しい PC に故障した PC のハードディスクを入れて持って来て貰う事にした。

 以上が、今回の PC 故障の顛末である。今日は、10時から18時まで別の建物で研修があり、PC を使う予定は無かった。その間に、新しい PC に替えて戴けた。ハードディスクは旧PC のものなので、そのまま使える。今回の故障においては、殆ど実害なく復旧できた。偶々研修と重なったのもラッキーだった。ただ、原因は分からない。原因はディスプレー接続端子ではなく、内部にあったのかも知れない。昨日は、最初に電源を入れて数十分後に正常になった。もしかしたら、PC の回路の温度が関係しているのかも知れない。冷えていると、ディスプレー端子に信号が出ない等の理由で。

 今回、職場で自分が使う PC の故障を初めて体験した。現代は、PC が使えないと、殆ど仕事にならない事を実感した。メールも読めない。でも、故障しても1日程度で復旧して頂ける事が分かり、安心した。但し、ハードディスクが故障した場合は、データはバックアップしているから問題ないが、アプリケーションの再インストールや環境の再設定が必要なので、数日かかるだろう。

 PC 管理部署の担当の方に感謝します。
by utashima | 2009-11-06 22:00 | パソコン | Trackback | Comments(0)

液晶テレビのバックライト用インバータ基板の交換

 購入して約2年になる20インチのシャープ製液晶テレビ LC-20GH1 の画面が、チラついたり暗くなったり真黒になったり。祖父が使っているテレビである。購入先のヤマダ電機に電話し、その翌日に症状の確認のために来てくれた。バックライト用インバータ基板の故障と診断された。更に翌日、その基板を交換して貰った。バックライト自体は問題なかった。ヤマダ電機の「The 安心」に入っていたので、費用は全て無料だった。

 職場や自宅の PC の液晶ディスプレーは、4,5年使って来たが問題なかった。2年で故障というのは、早過ぎると思って修理に来てくれた人に聞いてみた。稀ではないとの返事。液晶テレビの裏側を開けた事がないので興味があり、インバータ基板の交換の時、祖父と一緒に作業を眺めていた。同じシャープ製の20インチ型でも、機種により基板の構造は違っているとの事。今回のものは、初めての機種だったようだ。インバータ基板の交換の場合、機種により、交換し易いものとそうでないものとがある。今回の機種は、最悪のものだった。交換対象の基板は端が見えていた。しかし、それを外すには、殆ど全て (4~5枚) の基板を順番に外す必要があった。多分、薄くするために、修理のやり易さが犠牲になっているのだろう。

 リビングで使っている 32インチの液晶テレビも、約2年になる。大丈夫かな。
by utashima | 2009-11-01 17:29 | イベント | Trackback | Comments(0)