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「オークラつくば」のビアガーデンと「まつりつくば」2007

 インドに行く人、種子島に行く人の歓送会と、今年の異常な暑さの暑気払いを兼ねて、近い内に「オークラつくば」のビアガーデンで飲む事になった。このビアガーデンは、phedre さんのブログを読んで知っていたが、まだ自分の眼で見たことがなかったので、8月25日の午前中に出かけてみた。

 つくば市の中央部をほぼ南北に走る遊歩道を、赤塚公園辺りから北に向かって自転車で走った。遊歩道は木々で覆われているので、初めの内は涼しかったが、次第に暑くなってきた。「オークラつくば」のビアガーデンは、オークラフロンティアホテルつくばの北隣の空き地にあった。下の写真は、遊歩道から撮ったもの。
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 この辺りまで来ると、今日明日(25,26日)は「まつりつくば2007」が開催される事に気付いた。ここまで来たので、ついでに祭りのメイン会場の方まで走ってきた。下の写真は、H2ロケットの立っている中央公園。露店が沢山並んでおり、準備に忙しそうだった。
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by utashima | 2007-08-25 12:31 | イベント | Trackback | Comments(4)

2007年の盆休み

 2007年は、8月13日~17日に盆休みを取った。日本列島の広範囲で猛暑日(最高気温が35度以上の日) が続いた週だった。お金もなく、子供たちが帰って来る事もあり、どこにも行かなかった。

 昨年までは、真夏の昼間でも、2階の書斎で扇風機を回すだけで本を読んだりできた。時々、1階のリビングで涼んだりして。リビングは、エアコンを28度に設定したドライ・モードで運転している。殆ど冷房モードにする事はない。

 今年の8月13日~17日は、午後の書斎の温度が、35度前後であった。こんな温度では、何もする気がしない。仕方ないので、午後は隣りの和室(寝室)に移り、そこのエアコンを30度のドライ・モードで運転して読書*)した。和室の窓のシャッターを殆ど下ろして外からの熱入力を減らすと、30度のドライ・モードでも十分涼しかった。午前中は、書斎でも30度を大きくは超えず、9月1日締切の IAC2007 の原稿の英訳を行なった。夜になっても気温は下がらず、結局、30度のドライ・モードで寝る毎日だった。

 近所に出かける用事のある時は、ユニクロで買った1000円の帽子をかぶり、自転車で。こんなに暑くなければ、歩いて行くのだが。夕方6時を回って日が沈んだ頃、30分程度のウォーキングに出かけた。途中、スーパーマーケットと書店に寄るが、どちらも店内に冷房が効いていて助かる。

 暑い書斎から私は退避したが、デスクトップ PC は、そこで1日動き続けた。扇風機は回し続けているが、いつ熱でダウンするか心配であったが、今のところ問題なく動いている。

 30度のドライ・モードとは言え、ある程度の電力を使った事になろう。来月の電気代の請求書が気になる。

*)シリーズ現代の天文学の第8巻(ブラックホールと高エネルギー現象)と第15巻(宇宙の観測Ⅰ(光・赤外天文学))、浅田次郎作の『地下鉄に乗って』を読んでいる。『地下鉄に乗って』は、DVD で観て感動し、原作も読みたくなったので。みち子があまりに可哀想。
by utashima | 2007-08-17 18:04 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(4)

JPL に滞在した20年前の日記を読み返した(8)

 Synergetic Plane Change Maneuver の研究のまとめも終わり、日本から家内の両親を迎えての1週間のドライブ旅行も無事に終え、10月25日の帰国に向けての準備を行なった1ヶ月間を振り返る。

 9月28日、S.C.Wu 博士に再び会い、論文を貰った。彼は GPS を使った衛星の軌道決定の研究をされていたと思う。彼のオフィスには、何度かお邪魔した。この時、私が近い内に帰国するという事で、研究以外の雑談もした。彼は、中国系の人で、カナダの大学で博士号をとり、1975年から JPL で研究されていた。話をしていると、彼が、数年前に私を JPL で見た記憶があると言う。確かに、1982年の夏に JPL に1日だけ打合せで来ていた。それは、NASDA の ETS-Ⅲという高度数百kmの技術試験衛星の打上げ支援のために、アメリカ東海岸にある GSFC(Goddard Space Flight Center) に、同僚と約1ヶ月滞在した時であった。日本に帰る時に、JPL に寄った。この時は、GSFC の衛星管制センターのエアコンの効き過ぎた場所で徹夜作業をしたために、私は風邪を引いており、しんどい会議だった。

 10月1日午前7時45分頃、大きな地震があった。数回に亘って揺れた。丁度朝食を摂っていた。味噌汁がこぼれ、花瓶が倒れた。震度は4位と感じた。ラジオでは、マグニチュード6程度と言っていた。震源は、住んでいた家から 10km 程度しか離れていなかった。アメリカ西海岸も、日本のように地震の多いところであるが、10月1日の地震以外は記憶に残っていない。この地震の後は、早く日本に帰りたいと思ったものだ。

 この地震の日の前日に、Efron 氏の車と私の車を交換していた。乗ってみて気に入れば、Efron 氏が私の車を購入してくれる事になっていた。地震の後、車庫に行き、Efron 氏の車が大丈夫な事を先ず確認した。帰国の数日前に、Efron 氏に車を買って頂いた。

 地震の後、JPL に出勤し建物を見ると、ひび割れが何箇所かに見えた。この日、1年間の滞在の感謝とお別れのメモを記して、同じフロアのメンバーに配布した。後で Efron 氏から、「みんな、興味深く読んでいたよ。」と教えてくれた。日本での仕事の進め方や職場環境などを、JPL のそれらと比較して記したので、興味を持って戴けたのだろうと思う。

 10月4日には、私の1年前に JPL に滞在していた H 氏が、出張先の Palo Alto から、Arcadia に来られ、一緒に食事をした。H 氏は、Arcadia の家と車(追突事故で廃車にしてしまった)を、私たちに回してくれた方である。食事の後、Burbank 空港まで送って行った。

 10月6日の朝、JPL の Bldg 301 (私の区画がある) から駐車場まで、7kg の小荷物を 2個持って歩いた。日本に送る資料を郵便局に運ぶため。重いので、途中で2,3回休んだ。車で郵便局に行き、受付のカウンターに持ち上げた時、ちょっと腰が痛いと思った。それから、次第に腰が伸びなくなった。その日は、午後3時頃、早退した。翌日、病院へ行った。腰に2本注射された。10月9日まで休んで、回復してきた。私は、2006年8月頃から本格的な腰痛になったが、20年前の上記の事は忘れていた。その後は、手押し車を借りて、小荷物を駐車場まで運んだ。

 帰国の数日前に、Arcadia の借りた家を大家さんに返し、近くのモーテル(Santa Anita Inn) に1泊した。そこで、Efron 氏の奥さんに車を引き渡した。その翌日、リトル東京にあるホテル ニュー大谷に行くが、足がない。JPL での仕事仲間 (インド人の Prem さん) が、車でホテル ニュー大谷まで送ってくれた。感謝。

 10月24日(日本時間)、16時前に成田空港に着いた。筑波宇宙センターの仲間が迎えに来てくれていた。18時に、竹園宿舎に到着。1年間の空白など何もなかったような気持ちだった。竹園宿舎の仲間の人達が家の準備をしてくれていて、とても嬉しく、感謝の気持ちで一杯になった。上下水道やガスなどの手配は全て終わっていた。

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 8回に分けて書いてきた 20年前の JPL 滞在記は、これで完結。私は、出不精で、基本的に生活環境の変化を嫌う性格であり、長期の海外研修に行くという事は、元々希望していなかった。行こう、行かねばなるまい、と心を決めたのは、家内の以下の言葉であった。

  「海外研修に行かないか、と上司から声が掛かった時、断わらないでね。」

日本に帰った直後も、現在も、行って良かったと思っている。その後の私の職業人生が変わるきっかけになった。
by utashima | 2007-08-13 14:46 | イベント | Trackback | Comments(1)

電球形蛍光灯の寿命

 2007年2月から、サイズが合えば、電球の代わりに電球形蛍光灯を使うようにしている。2007年8月10日にその内の一つが寿命を迎えた。カタログに記されている寿命と比べてみた。

 この電球形蛍光灯は、以下の製品である。

Toshiba ネオボールZ (EFD10EN/9-E17)
  9W(40Wタイプ)  made in China  平均寿命8000時間

 使用期間は、2007年2月から8月10日までの約200日。使用場所は、階段であり、我が家では、1日当たり10数時間使用している。従って、4000時間はもたなかったという事になる。実際の寿命は、カタログ値の半分以下だった事が判る。この製品の寿命のばらつきは記載がなかったので、予測の範囲なのかどうかは判らない。寿命がカタログ値の半分でも、電球の2倍であり、電気代も電球の23%なので、損はしていない。

 同じ時期に、松下電器のパルックボールも外灯や風呂場の灯りとして使っているが、これらはまだ正常に使えている。パルックボールは、インドネシアで製造されていた。今回切れた Toshiba ネオボールZ は、新しいパルックボールに変えてみた。こちらは、何ヶ月もつかな。

 
by utashima | 2007-08-10 22:40 | 省エネルギー | Trackback | Comments(2)

JPL に滞在した20年前の日記を読み返した(7)

 1987年7月末から9月末までの事を記す。

[Synergetic Plane Change Maneuver の研究関係]
 7月22日に、当初計画していた Synergetic Plane Change Maneuver の解析作業を終えた。その後、報告書の作成に取り掛かるが、この時点では、以下の検討もしたいと考えていた。
  (1)今回は近似解を得たが、真の最適解を求めたい。
  (2)大気密度を±30%変えた時の解を求め、ノミナルの場合の制御と何がどのように異なるかを調べる。これは、次の guidance の研究に繋がる。

しかし結局、これらを実施する事はなかった。

 約1週間後の7月30日に研究の報告書が完成した。その日に、Dr.Mease が私の区画に来て、以下の追加作業を依頼した。
  (1)傾斜角変更量を30度とした場合の計算(それまでは、20度であった)
  (2)空力加熱率の制約値を変えた計算(制約値が∞の場合を含む)
  (3)推進系だけで面制御をした場合との比較 

(2)の解析では、空力加熱率の上限制約が異なると、大気圏のどこまで潜り込むかが変わる。すると、大気抵抗の大きさが大きく変化する可能性があるため、積分誤差の評価を再度行なわねばならない。問題があれば、ソフトを改修するか、新版を作成する必要がある。

 なお、Dr.Mease は、9月1日からアメリカ東部の Princeton University に移る事になった。その後、現在の所属である University of California, Irvine に戻っている。

 下に記したように、9月14日~9月20日まで、家族でドライブを楽しんだが、21日に JPL に出勤してみると、プリンストン大学に移った Dr.Mease から何度か電話があったようだった。こちらから電話してみると、Synergetic Plane Change Maneuver の研究を Conference で発表するための図や trajectory の各場所の情報(高度や速度など) を送って欲しいという事だった。

[研究以外の JPL での活動]
 NASDA の静止衛星 ETS-V の打上げ支援のため、筑波宇宙センターから2名が7月31日にロサンゼルスに到着。ロサンゼルス国際空港 (LAX) に出迎えに行った。Pasadena のモーテルに check-in した後、私も一緒に近所のレンタカー店に行き、Mazda 626 を借りる手伝いをした。なお、Mazda 626 は、日本名「カペラ」である。「ファミリア」は 323 と呼ばれていた。

 ETS-V の打上げは、8月20日の予定であったが、2回スリップした後、24日以降に延期となった。その時聞いた話では、H-1 ロケット第2段の液体酸素タンクの圧力センサー異常らしい。この H-1 ロケットは、3段式としての初号機であった。2段式での初打上げは、1年前に成功していた。ETS-V は、8月27日2時20分(ロサンゼルス時間)に打ち上げられた。私も、前日の夜から JPL に出ていた。2段カットオフまでのデータに3段のノミナル増速量を加えた軌道、DSS 66 (26m) のアンテナ角度のノミナルからのずれ、打上げ1時間後の JPL の軌道決定値、の3つの情報は、どれも ETS-V が-3σ の軌道に入った事を示唆していた。打上げ6時間後の JPL の軌道決定値も同様であった。第3段の固体モータは予測通りに燃焼したようだ。1,2段の guidance が悪かったようだ。AMF (Apogee Motor Firing) は第7アポジで行なう事になった。

 AMF は8月29日に精度良く実施された。翌30日は、Efron 氏の自宅でパーティが開かれ、私と家族も、筑波から来ていた2名と共に参加した。Efron 氏の自宅にはプールがあり、私も泳いだ。筑波からの2名は、9月2日に帰国した。

[仕事以外の事]
 8月13日の JPL からの帰りに、FreeWay 上で Accord の加速が悪くなり、30~40 mile/hour までしかスピードが出なくなった。Sierra Honda という店で修理してもらった。マフラーがダメになっており、新品のマフラーに交換した。

 9月10日からは、長男は小学1年生として、Holly Avenue Kindergarten と同じ敷地にある小学校に通い始めた。また、この日に、家内の両親がロサンゼルス国際空港に着いた。9月14日からのサンフランシスコ経由ヨセミテ ドライブ旅行(7月に途中で中止したドライブのやり直し)に参加するため。

サンフランシスコ経由ヨセミテ ドライブ旅行(全行程のGoogle Maps)
 9月14日~20日まで、表記の旅行に出かけた。参加人数が増えて ACCORD では乗り切れなくなったので、FORD Country Squire という 5000cc のワゴンを借りた。私が運転した中で最大の排気量の車である。旅の期間のモーテルの予約は、AAA (American Automobile Association、日本の JAF と似た組織) で行なった。

9月14日
 前回と同じく San Simeon のモーテルに泊まった。前回とは違って海に面したモーテルであり、海に沈む太陽を眺める事ができた。Hearst Castle は前回見たので、両親には申し訳なかったが、行かなかった。夜、9時頃から2~3時間、停電となった。近所の他のモーテルも電気が消えていた。前回も San Simeon のモーテルで次男が体調を悪くしており、この街とは相性が良くないのかも。

9月15日
 太平洋に面した1号線を北上し、カーメルの町で昼食を摂った。カーメルは芸術家の町とも言われているが、何日ものんびりしたいような綺麗な町だった。17 mile drive という名前の観光道路を走った。すぐ近くに、モントレーという町がある。ここは、映画『エデンの東』で有名。でも、当時はその映画を観てなく、何の感慨もなく通り過ぎた。20年後の2007年7月に DVD で初めて『エデンの東』を観て、その事を知った。夜7時頃、サンフランシスコの Galleria Park Hotel に着いた。リンク先の地図を見て頂くと分かるが、大都会の中のホテルであり、その駐車場に辿り着くまでがちょっとした苦労だった。そのホテルのある通りは判ったが、地下の駐車場への入り口が判らない。車を停めて歩いて探すのが良かったかも知れない。その時は、同じ道を数回も回って地下駐車場の入り口を見つけた。チェックインの後、近所の日本食レストランで夕食を摂った。

9月16日
 午前中は、Golden Gate Bridge を通って対岸に渡り、写真を撮った。それから、Fishermans Wharf に行き、Seafood で昼食。午後は、市内観光のバスに乗ったり、第2次大戦時の潜水艦に入ったり。サンフランシスコの坂道は、想像していた以上に急勾配で、運転が少し怖い程。夕方は、Twin Peaks へ。サンフランシスコの町の南にある双子の山である。

9月17日
 Bay Bridge を渡って、ヨセミテに向かった。木が全くなく、黄色に近い低い山が連なっている。そこに、3枚羽根の風車が数百基も設置されていた。風力発電をしていると思われる。今、ネットで調べると、5000基以上あると書かれている。上にリンクした Google Maps を拡大して、風車群を見て下さい。20年前の日記を読むまでは、この辺りで多数の風車を見たことを忘れていた。日記には正確な場所は書いていない。ネットで「風車群 サンフランシスコ郊外」と入力して検索すると、場所が判った。午後3時頃、Yosemite View Lodge に着いた。リンク先の写真を見ると、当時の思い出が蘇って来る。

9月18日
 ヨセミテ国立公園の中に入った。午前中は車で谷底をゆっくり走った。午後は、車で1時間ほど走って、谷を見下ろす場所 Glacier Point に行ってみた。ここからの眺めは、凄かった。上にリンクした Google Maps を見ると、Glacier Point や Half Dome もマークしているので、すぐに判ると思います。更に、画面右上の「KML」をクリックすると、Google Earth をインストールしていれば、3次元の衛星画像を色々な方向から見る事ができ、ヨセミテのダイナミックな風景を楽しめると思います。
 夕方、近所のスーパーマーケットで食料品を買ってきて、Lodge の裏庭で食事を楽しんだ。

9月19日
 帰路に就き、Visalia の Astri Motel に一泊。その場所は覚えいなかったが、ネットで調べるとすぐに判った。Google Maps にマークを付けておいた。ここには、プールがあり、みんなで泳いだ。

9月20日
 午後1時30分頃、無事に Arcadia の家に着いた。

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20年前の簡単な日記を読みながら旅行記を書いたが、ネット検索や Google Maps/ Google Earth のお陰で、記録の不備をある程度補う事ができた。

 (その8) に続く。
by utashima | 2007-08-04 23:04 | イベント | Trackback | Comments(0)

4段で3ヶ月目に入る(過去最長)

 今年の6月から 4段として、WWGo サイトで対局している。最近は、天文学の勉強、ブログの更新、書斎の整理などで忙しく、1ヶ月の対局数が 10 程度になっている。6月は、4勝6敗の勝率4割で辛うじて 4段を維持。7月は5勝5敗の5割。このため、8月も 4段として対局できる事になった。なお、このルールは、私が勝手に決めているだけで、WWGo サイトのルールとは全く関係ありません。自分の段位は自分で変更できます。過去に 4段を維持した月数は 2 が最長だったので、今回は記録更新となる。でも、この 2ヶ月戦った印象は、まだ弱い 4段である。
by utashima | 2007-08-01 13:42 | 囲碁 | Trackback | Comments(0)

12年前の遠くの銀行口座からの取立て

 父の死後、色々と苦労していた兄を見て、私の死後には子供たちに不要な作業はさせないようにと考えて、書斎の整理を少しずつ行なっている。1ヶ月ほど前に、12年前の銀行口座の通帳が2つ出て来た。1990年4月~1995年3月まで、埼玉県比企郡鳩山町の地球観測センターに勤務していた時に使っていた通帳である。これを以下では、通帳A、通帳Bと呼ぶ。通帳A の最後の記帳日は1995年3月20日で残高が90万円を超えている。通帳B も同じ頃の記帳で5万円を超える額。A 銀行、B 銀行とも、近くに支店はない。

 金額の多さに一時は喜んだが、当時の事を振り返ると、90万円も残して筑波に戻る訳はない。引越しの時に口座を完全に解約できれば簡単であるが、公共料金など自動引き落としになっているものがあり、数万円程度は残しておく必要がある。通帳B はその状態と考えられる。通帳A は、カードで殆ど引出し、その後、記帳する時間が無かったものと考えられる。

 2つの通帳を眺めて12年前を思い出しながら、以上の事まで把握した。さて、これからどうするか。数万円の金額は無駄にはできない。今後、両行を利用する可能性は0に近い。よって、口座を解約し、残金を現在利用している銀行C の口座に移す事にした。しかし、12年前の口座を銀行がまだ把握してくれているか、心配もあった。銀行A、銀行B の支店は、埼玉県の坂戸市や川越市なので、出かける気はしない。銀行に手紙を出す事にした。2つの銀行とも、合併で銀行名が変わり、支店の統廃合も行なわれていた。従って、当時の銀行の支店が、現在のどの銀行のどの支店になっているかを、インターネットで調べた。便利になったものだ。

 2つの銀行宛に、以下の事を記して、残高の確認と銀行Cへの送金法の教授を依頼する手紙を送った。
 ①口座番号 ②名義 ③届出印の印影
数日後に、銀行から電話が掛かってきた。手紙では住所しか書かなかったが、両行とも104で調べて電話をくれたようだ。どちらの銀行も、12年前の口座を確認してくれ、残高を教えてくれた。銀行A は1万円程度、銀行B は数万円であった。予想通りの額である。その後の手続きに必要な資料を郵便で送るとの事。

 更に数日後に、2つの銀行から、郵便が届いた。2つの銀行で、手続きが少し異なった。

[銀行A]
 住所変更届用紙、口座解約申請書、他行への振込依頼書が、切手の貼った返信用封筒とともに同封してあった。

[銀行B]
 口座解約申請書だけが入っていた。これに記入して、銀行C の窓口に行き、取立てを依頼して下さい、という事だった。


 8月1日に、私が行なう手続きは全て終えた。実際に金額が口座C に入るのは、1~2週間後との事。銀行A の場合、住所変更届を出すため、12年前の住所が必要になった。私の持っている資料の中に、それは見つからず、家内に聞いて判った。当時の子供の学校の連絡網の資料を保存しており、そこに書かれていた。
 銀行B の場合は、当時の住所は不要なのかと思ったら、銀行C の窓口で取立委任状という書類を書く事になり、そこに当時の住所が必要だった。銀行C に出かける2日前に、銀行A の手続きを済ませていたので当時の住所を記憶しており、出直す事無く、銀行C の窓口での手続きを終えた。実は、銀行C の窓口というのは、口座を作った支店の窓口である必要があった。私の銀行C の口座は、全て20年以上前に、ある支店で作ったが、現在は、近所にできた別の支店を利用している。初めは、その支店で良いと思って出かけると、口座を作った支店に行って下さいと言われて出直した。

 約一ヶ月で古い口座の整理ができた。思うに、引越しした後、数ヶ月以内に、上記の手続きをしておくべきであった。
by utashima | 2007-08-01 12:00 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(1)