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『イルマーレ(The Lake House)』

 今週は、『イルマーレ』(キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック)をレンタル DVD で観た。恋愛物語という事は、テレビの CM などを見て知っていたが、時空間を越えた恋愛物語とは、予想しなかった。

 1週間で3回観た。1回目で、恋愛する二人(アレックスとケイト)の間に2年間の時間のずれ(アレックスは2004年に生き、ケイトは2006年の同じ日を生きる)がある事は判ったが、多少頭が混乱気味で、幾つか確認したい場面が残った。2回目は、DVD プレーヤを途中で止めながら、主なイベントに対して二人の時間の関係をメモしながら観た。これで、ほぼ理解した。一つの事を除いて。なお、2年の時間差のある二人は、二人がそれぞれ異なる時期に住んだ Lake House という家の郵便受けだけを通して、文通できた。

 最後まで確認を必要としたのは、アレックスが2006年2月14日に何故デイリー・プラザに行く気になったかという事と、そこで何故事故を避けられたか、という事。以下、自分で確認したい方は、読まないで下さい。

 二人は、2006年の後半に「イルマーレ」というレストランで会う約束をする。約束をしたのは、ケイトの時間では前日であるが、アレックスの時間では2年前になる。ケイトは翌日、「イルマーレ」に行き、何時間も待つが、アレックスは現れない。ケイトは、時空間郵便受けを使って、アレックスが現れなかった事を彼に告げ、もう文通は止めると言う。アレックスは、2年後の自分の行動であり、その時点では、行かなかった理由が判らない。その時のケイトからの手紙の中に、バレンタイン・デーにデイリー・プラザで事故に遭って死んだ人がいた話をしていた。

 アレックスは、2006年2月14日に弟と歩いている時に、その手紙を思い出し、デイリー・プラザに行けば、彼女に会えると考える。そして、以前住んでいて今は空き家の Lake House の屋根裏部屋に置いていた手紙を取り出し、確認する。そして、シカゴ市内のデイリー・プラザに急ぐ。

 一方、ケイトは、2008年6月14日に、家のリフォームの契約をした会社(アレックスと弟が作った会社)で、アレックスが丁度2年前にデイリー・プラザで事故で死んだ事を弟から聞く。全てを理解したケイトは、アレックスがデイリー・プラザに行かないように、メモを Lake House の時空郵便受けに投函して、間に合う事を祈る。アレックスは、Lake House に行っても郵便受けを見なかったようだ。彼は、デイリー・プラザの車道を挟んだ向側まで行き、車列が途切れるのを待っている。車道を渡ろうとする直前に、2年後からの郵便が、彼のズボンのポケットに届き、それを読んで、事故に遭わずに済む。そして、アレックスは、2年間待って、二人は Lake House で逢う。

 有り得ない話だけど、引き込まれて、観た。数年前に、知人に教えて貰った『オーロラのかなたに』という映画も、時空を超えて通信する話だった。こちらは恋愛ではなく、亡くなった父と子の話。こちらは、レンタル・ビデオで観たが、時間の前後関係を確認するために、やはり数回繰り返して観たものだった。『オーロラのかなたに』は、このブログのこの記事に書いている。
by utashima | 2007-06-29 20:32 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(2)

日経サイエンス2007年7月号の記事『スターストリーム』

 標記の記事を読んだ。とても興味深かったので、内容を簡単に紹介する。

 天の川銀河系は、直径が10万光年程度の円盤形状をしており、個々の星は銀河系中心周りに同心円状の回転運動をしている。しかし、そのような同心円状の運動とは異なる運動をする星々が見つかっている。それらの星々は線状に連なっている。これを「スターストリーム」という。この記事の著者たちが10年前に、いて座矮小銀河のスターストリームを発見した時は、それ程注目されなかった。現在では、銀河系形成・進化にとって重要な情報をもたらすものと考えられ、観測・研究が進められている。右下に、銀河系の模式図を掲げる。
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 従来の銀河系形成理論は、宇宙初期の物質(ダークマターも含む)の僅かな密度分布の偏りからガスが集まって巨大銀河になるというものだった。しかし、現在では、初期の密度分布の偏りからは、太陽質量の10億倍程度の小銀河が沢山作られ、その後に、それらの集合・合体により、太陽質量の1兆倍規模の天の川銀河などができたと考えられている。上記のスターストリームは、銀河系に取り込まれる小銀河が、銀河系から受ける潮汐力のために線状に引き伸ばされたものらしい。銀河系は、大きなハローに包まれており、そこにダークマターが分布していて、銀河系の個々の星の運動に影響を与えている。従来は、ダークマターが楕円体状に分布していると考えられていたが、いて座スターストリームの観測により、ほぼ球状に分布する事も判って来た。スターストリームは、取り込まれつつある星々の軌跡を示しており、何億年も時間を掛けなくても運動を知る事が出来るのが大きい。右の模式図に示したように、スターストリームは、その軌道面の回転が小さい事が判り、ダークマターが球状に分布していると判断された。

 ESA が 2011年頃に打ち上げる GAIA や NASA が打上げを計画している SIM により、ほぼ銀河系全域の星々の位置・速度が高精度に明らかにされると、銀河系の形成・進化やダークマターの研究に大いに役立つと考えられている。
by utashima | 2007-06-24 12:30 | 読書 | Trackback | Comments(0)

結婚の3ヶ月前に作った人生設計

 身近な肉親である父の死を経験し、人生が有限である事を今まで以上に感じている。私の平均余命は、このサイトの情報によると、約26年。まだかなり長い様であるが、保証されたものではなく、いつ死期が訪れるかは誰にも判らない。という事で、私の狭い3.5畳の書斎の整理を始めた。現時点で不要と判断できるものを捨てている。

 机の引き出しの中を整理していると、結婚前 数ヶ月からの日記類が出て来た。1988年頃にPCを買ってからは、日記や家庭の記録類は、主にPCで作成しており(そのためバックアップは欠かさず実施して来た)、手書きの日記の存在を忘れていた。この日記は、1980年1月26日から続いている。翌27日の所に、人生設計を書いていた。それを見ると、

(1)2年おきに長女、長男、次男の誕生を想定していた。実際は、長男、次男、長女の順になり、平均間隔は3.5年であった。私は兄姉私の3人兄弟なので、一応3人の子供を想定した。しかし、二人男が続いたので、3人目を作るかどうか少し悩んだ。1986年~87年にジェット推進研究所に滞在した時、近所に医学研究で来られていたご夫妻がいて、その奥さんから家内が産み分け法を伝授してもらったようだ。その甲斐あってかどうか、無事長女が生まれた。

(2)2007年には、長女が結婚すると想定していた。実際には、今年大学1年生。

(3)2007年の貯蓄残高を13万円と推定していた。子供たちの学費支出のために、それまでに蓄えた貯蓄を殆ど吐き出すと予測。現実も、これに近い状態。否、もっと悪い状態。計画では退職時にローンを完済する事になっているが、現実には退職金もつぎ込まねばならない。

(4)仕事の予想では、静止衛星や地球観測衛星などの地球周回衛星の仕事からは 1986年位で離れ、その後の10年間は月惑星探査関係の仕事を想定している。何と、1997年からは銀河航行の仕事としていた。月惑星探査の仕事までは、現実にも解析などを行なっているので、それほど違ってはいない。しかし、銀河航行は2007年の今でも仕事としては考え難い。

(5)趣味として、囲碁上達の予想もしていた。1980年頃は3級程度だった。5年程度毎に1ランク上がると予想しており、2007年は2段となっていた。現実は3~4段。

従って、計画より上を行っているのは、囲碁だけか。
by utashima | 2007-06-23 17:55 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(0)

共済年金も統合を早める決断

 今日、職場で日経新聞を読んでいると、共済年金加入者の基礎年金番号への統合を早める決定をしたとの記事があった。やっと共済年金も動き始めた。

 私の6月2日の記事『年金情報の確認』で、家内の結婚前の共済年金加入期間の情報を確認しようとしている事を書いた。私の問い合わせに対し、共済組合から書類が送られてきた。それに記入し、戸籍抄本などの必要書類を添えて、送り返した。それから10日程度過ぎた現時点では、まだ返事は来ていないが、共済年金のこのサイトをみると、1ヶ月程度掛かると書いてある。このサイトの記事は6月15日に公開されているので、私が問合せをした直後に出されたもののようだ。

 上記の共済年金サイトの情報は6月15日時点のものなので、加入者が動かなければ何もしてくれない、というもの。今後は、この日経サイトにあるように、共済組合側が2010年までに統合を終えるように動く事になる。日経新聞では更に詳しく書かれており、今年度中に該当者を調査し、来年度に郵便で知らせるようだ。

[補足(2007年6月27日)]
 上記の日経サイトに出てくる共済組合は、公務員や私学職員を対象としたもののようであり、家内が所属していた農林共済は、そのニュースとは関係ない可能性がある。なお、家内の結婚前の農林共済組合員期間の証明書が、本日届いた。
by utashima | 2007-06-22 20:06 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(0)

『東京駅はこうして誕生した』(林 章著)

 父の49日の法要で尾道に帰省した時、東京駅のキオスクで、『東京駅はこうして誕生した』を買った。日本の鉄道の歴史といえば、明治5年に新橋-横浜間に初めて鉄道が開通した事位しか知らない。東京駅がいつ頃できたのかさえ知らなかった。第二次世界大戦の空襲で東京駅も大きな被害を受け、復興後の現在の姿は元の設計とは多少異なっている事は知っていた。また、最近のニュースで、元の東京駅の姿に復元する工事が、今年の5月30日に開始された事を知った。

 明治時代において、外国からの専門家達が日本の近代化に大きな寄与をしているが、東京駅を初めとする鉄道事業の推進においても、そうであった。その中でも、明治3年に日本に来て、新橋-横浜間の鉄道開通に大きな貢献をしたイギリス人のエドモンド・モレル氏の事は、印象に残った。彼は開業を待たず明治4年に病で亡くなっている。日本人のキノ夫人も後を追ったとの事。また、彼が着任時に伊藤博文に提出した「建議書」には、工科大学校の創設も提案していた。現在の東京大学工学部である。汽車の燃料の石炭は、日本でも採掘されていたが、筑豊や常磐から新橋、横浜まで運ぶ手段がなかったためにイギリスから輸入したらしい。

 新橋-東京-上野駅間は、線路はアーチ型の高架となっている。この方式を提言したのは、ドイツから技術指導に来ていたヘルマン・ルムシュッテルという人であった。将来、鉄道と交差する方向の車の交通量が増える事も考えての提言だった。それから、東京駅をパス・スルー方式の始発駅とすることも提案している。欧米では、その駅で行き止りとなるターミナル方式が主流であった。一つの都市に行き先毎に複数のターミナル駅を作っている。ロンドンやパリなどがそうだ。ヨーロッパを旅行した時、不便に感じたものだ。そうなってしまったのは、鉄道の敷設の頃には欧米の大きな都市は既にほぼ出来上がっており、そこに大きな駅を作る事が困難だった事もあるらしい。ドイツと日本は、都市の整備が遅れており、パス・スルー方式の大きな駅を作る余地が存在した。

 東京駅が開業したのは、1914年(大正3年)であるが、その時は、丸の内側しか利用できなかった。利用客が多くなり不便になったために、1929年(昭和4年)になって八重洲口も開設されている。この本を読んで、なるほどと思ったことは他にも多々あるが、この辺にしておく。ウィキペディアの東京駅にも、色々な事が書かれている。
by utashima | 2007-06-21 00:06 | 読書 | Trackback | Comments(0)

子供達からの贈り物

 私と家内の誕生日は共に4月で1日違い。今年の私達の誕生日祝に、息子の一人から扇子を貰った。有難う。

 最初の扇子は、私が貰ったもの。
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下は、家内が貰ったもの。
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 今日、もう一人の息子から小包が届いた。中に「宇治抹茶あんみつ」が入っていた。父の日のプレゼントとして。有難う。早速、戴いた。下の写真が食べる直前のもの。なかなか美味しかった。家内、娘も味をきいたが、好評だった。
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by utashima | 2007-06-15 22:12 | イベント | Trackback | Comments(0)

インバータ方式の蛍光灯には、スタータ型蛍光管を

 今日帰宅すると、台所の天井の照明器具の2本の蛍光管(40Wずつ)が切れていた。すぐに近所の電気店に歩いて買いに出かけた。蛍光管の長さとワット数を確認して出て来たが、店で見ると、「スタータ型」(FL) とか「ラピッドスタート型」(FLR) の表示がある。さて、我が家の蛍光灯にはどちらだろう、と困った。我が家のものは、インバータ方式という事は記憶していた。でも、「インバータ方式」というような表示はなかった。店の人に聞くと、「インバータ方式のものは、ラピッドスタート型を使って下さい」との返事。しかし、「スタータ型」の製品を見ると、「インバータ方式にも使えます」という記載のあるものもあった。

 店の人の様子をみると、良くは理解していない雰囲気だったので、「インバータ方式にも使えます」という記載のある「スタータ型」の蛍光管を購入した。「ラピッドスタート型」よりも少し廉い。帰って取り付けると、正常に点灯した。

 でも、「スタータ型」(FL)、「ラピッドスタート型」(FLR)、「インバータ型」の違いが気になった。特に、我が家のような「インバータ型」では、FL と FLR のどちらを買えば良いのかを知りたかった。このサイトに、「インバータ型」は、FL を買えば良いと書いてあった。安心した。
by utashima | 2007-06-15 21:30 | 省エネルギー | Trackback | Comments(0)

49日の法要

 2007年6月10日(日)に父の49日の法要が行なわれ、尾道に帰省した。49日の法要の時に、納骨を行なう事を初めて知った。出発した9日は全国的に荒れた天気だったようだ。尾道に着いた時は、晴れの穏やかな天気だったが、午前中は雷を伴う大雨だったと聞いた。翌10日も午前中は小雨が降ったりしたが、法要の頃は雨の心配は無く、良かった。

 9日の11時前に東京駅の17番ホームで「のぞみ」を待っていた。同じホームの反対側の16番ホームには、新幹線が止まっていた。何気なく眺めていると、車両の横に、「試験運転」という文字が見えた。もしかしたらと思い、見る範囲を広げると、「N700系」という文字が見えた。7月1日からの営業運転に備えて試験運転をしているのだった。デジカメを出そうと思っていると、N700系は出発してしまい、撮れなかった。偶々横に年配の駅員さんがいたので、「新型ですか。」と聞くと、ニコニコしながら、「ええ、来月からの営業運転に備えて。」と答えてくれた。「どの位短縮されるのですか。」と聞くと、「4,5分程度ですが、それでも早朝の便に乗る人は便利になると思います。初めは本数は少ないですが、次第に増やして行きます。でも、窓は少し小さくなりました。」と、色々と教えてくれた。

 9日の下りの「のぞみ」の車内で、温かいコーヒーを飲みたいと思い、自動販売機に行ってみたが、全て冷たいもの。丁度そばに車内販売の女性がいたので、自販機で温かいコーヒーはないかと聞くと、ワゴンで回っている車内販売しかないので、そちらを利用して下さい、との事。了解して席に戻った。10分か15分かして、その車内販売の人が私の席まで来てくれて、「車内販売は前の方で手間取っている様ですので、私がお入れしてお持ちしますが、如何でしょうか。」と言われた。福山に着くまでまだ30分程度あったので、私は恐縮しながら、「お願いします。」と言った。まるで、飛行機に乗っているようなサービスだった。有難う御座いました。
by utashima | 2007-06-11 21:43 | イベント | Trackback | Comments(0)

『嵐が丘』

 最近は、月に 4本の映画をレンタル DVD で観ている。旧作を借りるので 150円~250円/本。よって、月に 1000円以下。月額 1000円のネット上のレンタル DVD サービスがあれば利用したいと思うが、残念ながら無い。先日、観たい旧作が幾つかあったが、どれも貸し出し中。色々と店内を見ていると、『嵐が丘』が目に付いた。もしかしたら中学時代に読んだかも知れない程度の記憶しかない。久し振りに昔の名作を観ようと思った。借りたのは、1992年の映画だった。

 小さい頃から虐げられたヒースクリフの復讐の話である。「恨み、復讐からは何も生まれない」事を、作者エミリー・ブロンテは伝えたかったのだろうか。今観ている NHK の大河ドラマ『風林火山』でも、似たような台詞が何度も出て来た。ヒースクリフも、自分の死の頃には、「俺の一生は何だったのか」との思いを強くしたように観た。彼の死後、彼に苦しめられたキャサリンとヘアトンが愛し合いながら新しい生活を始める最後のシーンで救われる思いだった。

 坂本龍一氏の音楽をバックに浮かび上がるイギリスのヨークシャーの荒野に建つ館「嵐が丘」が印象的だ。
by utashima | 2007-06-05 21:20 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『地震予知の科学』

 『地震予知の科学』(日本地震学会 地震予知検討委員会編、東京大学出版会、2007年)を読んだ。最近のニュースなどで、我々が地震とは感じない「ゆっくりすべり」の事などが触れられている。地震研究の分野に何か大きな進歩があったのかなと感じていた。

 この本は、特に最近10年間に明らかになってきた事が、判り易く説明されている。プレート境界で発生する地震については、「アスペりティ(Asperity)モデル」により、地震の起き方が理解できるようになり、更に、過去の地震のシミュレーションも可能になってきた。プレートの境界面において、普段は固着しているが地震時に急に滑って強い地震波を出す領域を「アスペりティ」と呼び、普段からゆっくりと滑っている領域を「ゆっくりすべり域」と呼ぶ。このモデルを使い、100年~150年の間隔で南海トラフ沿いに発生している巨大地震(東海・東南海・南海地震)が、シミュレーションにより再現されている。10年前では、計算機能力が不足して不可能だったが、地球シミュレーターが可能にしたとの事。計算機能力だけでなく、1990年代中頃から、色々な地震観測機関のデータが統一された仕様で公開された事も大きく貢献しているようだ。1995年の阪神・淡路大地震が契機になった。
by utashima | 2007-06-03 11:48 | 読書 | Trackback | Comments(0)