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父の死

 2007年4月23日21時過ぎに、私の父が尾道市の病院で息を引き取った。大正7年(1918年)7月3日生まれなので、約89歳であった。4月24日に通夜を行ない、25日に葬儀を行なった。
by utashima | 2007-04-26 18:46 | イベント | Trackback | Comments(0)

ウイルスバスタ2007のその後の状況

 2006年12月の後半に、ウイルスバスタ(VB)2006から VB2007 にバージョンアップしたら、インターネットが正常に使えない状態になり、VB2006に戻して、現在も VB2006 で正常にインターネットを利用している。

 その後4ヶ月経ち、VB2007も問題点を解消した版が出ているかどうかと思って、トレンドマイクロ社のサイトを覘いてみた。改良版をリリースしたような記述は見つけられなかった。その代わり、VB2006のサービス終了が2007年12月末である事が、ここに記されていた。ネットで VB2007 の何か新しい情報はないかと探してみた。このサイトが見つかった。そこに、2007年1月30日に新版が出ている事が記されている。やはり対策をしていたようだ。そのサイトによると、新版でもまだ問題が出るようだ。最新情報が比較的頻繁に更新されており、私も今年の年末まで、このサイトを時々チェックして、VB2007への移行の可否を判断したいと考えている。そのサイトの判断は、現時点では、VB2006を使えという事のようだ。
by utashima | 2007-04-22 09:00 | パソコン | Trackback | Comments(0)

定年退職者の祝賀会

 私と同期に NASDA (現在の JAXA) に入社した十数名の一団の中から、最初の定年退職者が2007年3月31日に退職された。4月20日に、東京駅八重洲地下街の海濱亭で、同期の者が集まって祝賀会を開いた。NASDA 入社時には、学部卒の者から博士課程終了の者まで居て、年齢的には、7年程度の開きがある。私は、5年後に定年退職の予定である。

 2名ほど欠席されたが、懐かしい顔が揃った。同じ会社に勤務していても、部署が違うと殆ど会わない人も多い。この度定年退職された方は、私がお世話になった一人である。1990年に筑波宇宙センターから埼玉県の地球観測センターに異動になった時、直接の上司的立場におられたのが彼である。彼は多分1年余りで筑波宇宙センターに移られた。私は5年間地球観測センターに勤務し、1995年に筑波宇宙センターに戻った。しかし、古巣の追跡部門でなく、将来の衛星開発部門であった。これは私の希望通りであった。そこでの上司も彼であり、数年間お世話になった。

 宴会では、私は普段はビール中心に飲み、最後に日本酒を飲むかどうか程度であるが、この時はビールは2,3杯で終え、早い段階から日本酒の冷酒に進んだ。楽しい宴会であった。従って、普段以上に酔っていた。多分9時頃、閉会となり、ハンガーに掛けたコートを取り、下駄箱の番号札をポケットから取り出して靴を履いて外に出た。外に出た時は、先頭集団の一人だったと思う。すぐに帰路につき、東京駅に向かって歩き始めた。暫く歩いていると、手が空いている事に気づき、カバンを海濱亭に置き忘れた事を知った。すぐに引き返し、宴会の部屋に行ってみた。店員が後片付けをしていたのでカバンの事を聞くと、この部屋にはカバンは残っていなかったとの返事。多分、最後に部屋を出た人が見つけて持ち帰ってくれたと思い、そのまま帰宅した。

 20日当日は、会社を2時間早退し、一旦自宅に戻り、着替えて出かけた。その時、電車の中で読む本をカバンに入れた。会社の図書室で借りた雑誌と、最近買ったばかりの重力波の本のどちらを持って行こうかと考えた末、買った本にした。また、遠くを見る時に使う替え眼鏡を持って行くかどうかも迷ったが、不要と判断してオフィスで使う眼鏡を掛けて、出た。この決定は、良かったと思う。もし、カバンが戻って来なくても、被害は本代の2000円余りだけで済む。図書室で借りた本や眼鏡が入っていると、ちょっと面倒な事になるところであった。飲み方に気を付けねばと、反省している。
by utashima | 2007-04-21 18:33 | イベント | Trackback | Comments(0)

View-Suica カードの初使用

 4月18日、三鷹市の国立天文台に出張した。DECIGO という日本の宇宙重力波望遠鏡のワークショップが開かれた。この出張の時、先月に入手していた View-Suica カードを初めて使用した。

 確かに、View-Suica カードを財布に入れたまま、自動改札機にタッチするだけで認識された。切符を買わなくて良いのは便利。しかし、国立天文台への出張の場合、「都区内・りんかいフリー切符」を買う方が安くつく。というのは、国立天文台へは武蔵境で降りるので、2230円の「都区内・りんかいフリー切符」の他に、西荻窪と武蔵境の間の往復分300円を加えた計2530円で往復できる。View-Suica カードを使うと、往復で 2900円必要になる。つまり、370円の違いがある。これが、切符をいちいち買わなくて良い事の代償という事だろう。370円では缶コーヒーが3本買える。これからも View-Suica カードを使い続けるかどうか、微妙なところ。

 武蔵境の駅からは小田急バスに乗って、国立天文台正門で降りる。駅前のバス停の説明文を読んでがっかりした。武蔵境営業所管内のバスが Suica/Pasmo で利用できるようになるのは、平成20年度からと書かれていた。私が今回 View-Suica カードを取得した最大の理由が、バスでも使えるから、というものだった。乗る前に小銭を用意しなければならない乗り物は、基本的には利用したくない。

 ひたち野うしく駅に戻って、自動改札機から出ようと View-Suica カードをかざしたが、「残金が足りません。チャージしてください。」といった内容の音声メッセージ。仕方ないので、精算機で 1万円を支払ってチャージして出てきた。帰宅して調べてみて原因が判った。View-Suica カードの発行時の初期設定が、「残金が 1000円を切ると、3000円チャージする」となっていた。そして、オートチャージは、自動改札機に入る時しか機能しない。今回の場合、朝、ひたち野うしく駅の自動改札機を通る時に3000円がオートチャージされ、往路で1500円以上使い、復路で武蔵境の自動改札機に入った時には、残金は1400円位だった。下限の1000円を超えていたのでオートチャージはされなかった。片道の運賃が1450円なので、ひたち野うしく駅で出ようとした時には残金が足りない事態に。

 自動改札機を出る時にもオートチャージできるようにすれば問題はないのではないか。それから、発行時の設定金額を、利用者が申請できるようにすれば、改善するのではないか。設定金額を変更するには、ATM の View Altte に行かねばならない。ひたち野うしく駅には存在しない。東京駅には、勿論ある。設定金額の変更は、JR 東日本のサイトでもできるようにしても良いのではないか。

 今回の初使用では、切符を買わないで良い利点より、システムの問題点の方が、私には印象に残ってしまった。

[追記 2007年4月21日]
 View-Suica カードの ATM 機である VIEW ALTTE が土浦駅にあることを知り、21日(土)に出かけて来た。オートチャージする閾値を3000円に、入金額を5000円にした。
by utashima | 2007-04-19 00:38 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(5)

並木ショッピング・センター新装Open

c0011875_17141635.jpg 毎月15日頃、大学生の次男に送金のため、郵便局に行く。いつも並木ショッピング・センターの横にある郵便局を利用している。土曜日は郵便局は閉まっていると最近まで思い込んでいたが、ATM は土曜日でも利用できる事を知って、今日(4月14日土曜日)、歩いて行って来た。風が強かったが、暖かい日だった。

 並木ショッピング・センターの入り口で、3月30日に新装オープンした事を知った。ここには、最近は1ヶ月に 1 回しか来ない。上の並木ショッピング・センターのリンク先を見て頂くと、昔の事も少し書かれているが、1976年(昭和51年) に、開業している。この年は、私が NASDA (現在は JAXA) に就職した年である。約半年、東京で勤務した後、9月から希望していた筑波宇宙センターの追跡開発室の勤務となった。という事で、私には懐かしい場所の一つである。

 下の写真は、並木ショッピング・センターの遠景。
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 次は、右のスーパーマーケット(マスダ) に面して並ぶ各店舗群。
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 ここに入っている店舗は以下の通り。2階に主に医療機関が入っている。
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 以前に、スーパーマーケット(マスダ) が存在した場所は、下の写真のように、整地作業が行なわれていた。工事関係者の人に聞くと、駐車場になるとの事だった。
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by utashima | 2007-04-14 17:21 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(3)

NHKの『その時 歴史が動いた(所得倍増の夢を追え)』を観て

 2007年4月11日の標記の番組を観た。1960年から池田勇人内閣の下で、所得倍増計画が実施に移された。池田勇人氏は広島県(竹原市)の出身であり、子供の時から知っていたが、所得倍増計画は、大蔵省出身のエコノミスト下村治氏が提唱されていたものを、池田総理が実施に移したという事は、知らなかった。所得倍増は、実際に1967年に実現される。しかし、全く問題なく計画が進行した訳ではなかった。1965年頃に不況になり、下村氏の提言により、赤字国債を戦後初めて発行し、この不況を乗り越える。

 調べてみると、この1965年以降毎年のように国債が発行され、発行残高がどんどん累積している事が、このPDFファイルから判る。所得倍増が実現した頃、公害問題や、農業や漁業の衰退の問題などが深刻になる。多分、今の中国の状態に近いのであろう。下村氏は、単純な経済成長論者ではなかったようで、バブル経済の行く末を批判的に予言していたようだ。

 所得倍増計画の1960年~1967年は、私は 9歳~16歳であった。父は、戦前は大阪のクボタ鉄工所で工員をしていたが、戦争の頃、生まれ故郷の広島県尾道市向東町(当時は御調郡向東町)に戻り、そこの日立造船に旋盤工として勤務するようになった。丁度9歳の頃、父は会社が進めた持ち家政策に乗り、向東町彦の上沖の分譲住宅を購入した。それまでは、向東町堤にあった日立造船の社宅に住んでいた。平屋の長屋が2棟建っていた。8畳位の部屋と4畳半位の部屋の他は、4畳半位の土間の台所のみの間取りであった。風呂は近所の銭湯に行き、トイレは共用のものが併設されていた。ここに家族5人が暮らしていた。ここでの生活では、電気製品といえるものは、扇風機のみであった。それを購入したのも、私が7歳の頃ではなかったかと思う。それまでは、夏の暑い眠れない夜などは、蚊を避けるための蚊帳の中で、横で母が団扇で風を送ってくれたものである。

 新しい分譲住宅に移り、その広さが嬉しく、家の中を何度も歩き回った事を覚えている。と言っても、今で言えば、2LDK に過ぎないが。しかし、トイレも風呂も付いていた。この家に移って、1年位して、我が家にもテレビ(白黒)が来た。その後、洗濯機、冷蔵庫という順番で購入したように思う。これが我が家での所得倍増計画が進行中の時期の様子であった。

 番組を観ながら、当時の父を思い出していた。父とは 1,2 度位しかじっくり話をした記憶はない。父は、工員をしていたためか、日曜大工の類やスクーターの修理などを、自分でやっていた。中学生の頃、日曜日毎に、早朝からスクーターのエンジンを回して調整していた。煩くてゆっくり寝ていられなかった。夏になると、庭に竹と簾で日除けを作った。夏休みには、そこに折り畳み式の椅子を置いて読書をしたものだ。このような工作の才能は、私は受け継がなかったようだ。
by utashima | 2007-04-12 19:10 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(0)

『大人の科学マガジンVol.15』の付録「紙フィルム映写機」の組立

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 2007年4月6日(金)の夜から、標記マガジン付録の紙フィルム映写機の組立を開始した。約 1 時間作業し、「4 ハンドルを組み立てる」まで終えた。何年ぶり、否、何十年ぶりかの細かい組立作業。 1 時間も神経を集中して作業すると、首・肩が凝ってきた。1 時間が限界。

 過去のいつ頃、こんな作業をしたかと振り返ってみた。

 子供たちが幼稚園生や小学低学年生の頃、学習雑誌の付録の玩具(型紙でできていた)を作ってやった事がある。私は組立は余り好きではないので、子供ができないと言って来て初めて手を出したと思う。これが十数年~20年前。

 更に遡ると、私が大学3年生の頃。ラジコン飛行機を作ろうと、機体セットと送受信機セットを多分数万円で購入。機体をほぼ作り上げ、残った作業は、舵面へのサーボの取り付け、胴体内部に受信機のセット、塗装、等であったと思う。何故か、その頃、作り続けるのが否になり、機体などをベッドの下に長い期間仕舞い込んでいた。当時は、九州大学の箱崎にあった松原寮に住んでいた。結局、ラジコン機の完成を諦め、それを誰かに売って、そのお金で、中古のホンダ スーパーカブを購入。スーパーカブのお陰で、福岡近郊を彼方此方と走る事ができ、楽しかった。(今回、松原寮で初めて検索してみた。何と、まだ存在していた。教養部の時に入っていた田島寮も建て替えられて存在した。)

 更に遡ると、中学時代に、真空管式のラジオを組み立てた事、小学生の時にプラモデルを組み立てた事、を思い出す。作ったプラモデルは、スポーツカー、ジェミニ宇宙船、F-111 可変翼戦闘爆撃機など。

 翌7日(土)、組立作業を再開。「7 スタンドを取り付ける」 まで終えて、休憩。この時、別の記憶が蘇って来た。私が小学生になる前だった頃と思う。9歳年上の兄が、ボール紙で蒸気機関車を作ってくれた。兄が自分用に作った機関車を見て、私も欲しくなり、頼んで作って貰ったように記憶している。兄は、工作が好きだったのかなと思い出すと、確かにそうだったと思われる。兄の工作の類では、2つの事を覚えている。1つは、近所に住む同級生との間で有線通信をしようと、電線を地下に這わせていた。上手く行ったのかどうかは記憶にない。もう一つは、セルロイド等を詰めたロケット。兄がこっそりと出かけるので後について行き、親父には内緒だぞと約束させられて、打上げを見物した。

 午後、映写機の組立は完了。残りは、紙フィルムの作成。説明を読むと、ちょっと面倒そう。そこで、大林監督の1963年当時の尾道のフィルムを作る事にした。多分、2つ以上作る気にはなれないと思ったので。予想とおり面倒だった。特に、送り穴(パーフォレーション)を一つ一つ空けるのが。

 夜になって、映写してみた。白い壁から 15cm 程度離して映写機を設置し、電源をオンし、ピントを合わせた。画像を大きくしようと映写機をスクリーンから離すと、豆電球の光量が足りず画面が暗くなる。よって、写った画像のサイズは 5cm 程度。ハンドルを手で回して毎秒数コマ程度にすると、尾道水道の船や千光寺山を登る人が映画のように動いた。当然のことながら、当時の風景を観賞できるレベルの解像度ではない。映写機の側面を見ると、「ハタキ落とし式」という間欠機構により、1 コマずつフィルムが送られるのが良く判る。

 今回、『大人の科学マガジン』の付録の映写機を作っていると、上記のように、首・肩の凝りと引き換えに、色々な事を思い出す事ができた。冒頭の写真は、今回組み立てたもの。
by utashima | 2007-04-07 22:30 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(2)

不確定性原理と重力波検出法

 『日経サイエンス 2007年4月号』を読んでいる。その30頁~41頁に掲載されている記事「新たな不確定性原理を求めて」を読んで、2つの点で驚いた。

 1つは、不確定性原理が、重力波検出法と強い関係が有った事。1980年代の初め、2枚の鏡の間にレーザーを往復させて重力波の到来による距離の変動を検出する干渉計は、不確定性原理から導き出される測定限界があり、別の方法が良いであろうとの見方があったらしい。1983年に Horace Yuen が、「不確定性原理から来る精度限界を破る干渉計による観測は可能である」と発表すると、1985年に Carton Caves がそれに反対する発表をした。この問題に決着を着けたのが、小澤正直 東北大学教授 (当時は名古屋大学 助教授)。彼は、1988年に、干渉計で不確定性原理から来る限界を破れる事を証明した。その結果、干渉計で高精度に重力波を検出する事に、原理的な問題がなくなり、現在進められている重力波検出器には、干渉計が採用されている。私も、宇宙機を使って重力波を検出するミッションの検討に、少し関係しているが、1980年代に上記のような議論があった事を知らなかった。

 もう一つの驚きは、小澤正直教授が、新しい不確定性原理を発表されている事。その式は、このサイトで見て下さい。2004年の日経サイエンスや日経バイトでも記事になっていたようだが、私は全く気が付かなかった。小澤教授の式で最終的に確定した訳ではないらしく、現在もさまざまな研究が行なわれているとの事。
by utashima | 2007-04-05 23:27 | 読書 | Trackback | Comments(0)