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やはり4段は早過ぎました

 2006年1月も 4段として対局しましたが、6勝14敗の勝率3割に終わりました。4段は私には背伸びし過ぎでした。2月は 3段として戦います。更に 2段にまで降段しない様に頑張らねば。
by utashima | 2006-01-31 22:28 | 囲碁 | Trackback | Comments(0)

住宅用の照明器具

 我が家は1995年2月の建築。11年が経った。メンテナンス計画では、今年辺りに、外壁の再塗装・屋根の補修が必要となる。かなりの金額のため、頭が痛い。

 10年を過ぎると、あちこちに不具合が出てくる。昨年に風呂給湯器を部分的に修理したが、今度故障すると、買い換える事になろう。各部屋の天井に付けている照明器具にも不具合が出始めた。以前は点灯管方式だったが、我が家でもインバータ方式が使われている。点灯管方式だと、点灯管を交換すれば良いが、インバータ方式では故障すれば照明器具全体を買い換える事になる。インバータの寿命は6年位~10年超と電気店の人に聞いた。オンオフの回数にかなり依存するのであろう。インバータ方式は、省電力でチラつきも少ないという利点があり、主流になっている。

 我が家の幾つかの部屋の天井の照明がすぐには点かない事が多くなった。買い換えようと思い、天井との接続部がどのようになっているかを調べてみた。下の写真に示す。照明器具を支える金具は専用のものが使われている。これでは、電気店で新しい照明器具を買って来て、簡単に取り付けるという訳には行かない。
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最近の照明器具は、引掛シーリングに取り付ける形のものが多い。引掛シーリングが、電気的接続だけでなく、照明器具の重量も支える。昔に住んでいた社宅でも、引掛シーリングが使われていたので、我が家でも当然に使われているものと勘違いしていた。このリンクを見て頂くと、引掛シーリングは昭和38年に始めて採用されたとある。歴史はかなり古い。しかし、上の写真のような直付け形器具への対応は比較的最近なのかも知れない。

 と言う事で、我が家では、故障した部屋から、引掛シーリングを取り付ける工事をし、そこに新しい照明器具を取り付ける事にした。照明器具の取り付けインターフェースが比較的最近まで確定していなかったのは驚きであった。
by utashima | 2006-01-28 15:11 | 省エネルギー | Trackback | Comments(2)

『マイノリティ・レポート』をテレビで見た。

 2006年1月27日、日本テレビで『マイノリティ・レポート』を観た。新聞の番組欄には、テレビ初放映と書いてあった。楽しみにしていた。夜9時から映画が始まった。数分観ていると、「これは1度観た筈」と思った。ところどころでは、先のシーンまで思い描く事ができた。テレビ初放映であれば、映画館で観たか、レンタル・ビデオで観たかの何れかである。PC で日記を付けているので、映画を観ながら、傍にあるパソコンを使い Google Desktop で全文検索してみる事にした。「マイノリティ・レポート」を検索してみた。ヒットしない。「マイノリティ」だけでもダメ。映画館で、又はレンタル・ビデオで観ていても、日記に書いてない可能性がある。多分そうだろうという事にして、最後までテレビを観た。意外な犯人で面白いが、犯罪を予測する中枢機能が自由を拘束された3人の女性というのは、情けない未来だと思った。見終わった後、再び Google Desktop で 「minority」 と入れて検索してみた。今度は見つかった。2003年8月10日(日)の日記に、以下の記述があった。
 
Minority Report をレンタルビデオで見た。開始から7割位までは、駄作と思った。最後の3割で話に引き付けられた。でも、犯罪予知システムの中心部が3人の人間というのは情けない。

 2年半前も、ほぼ同じ感想を持っていたようだ。それにしても、Google Desktop は便利だ。

 
by utashima | 2006-01-28 00:34 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

雪の梅園公園(2006年1月21日)

 1月21日は大学入試のセンター試験の第1日目。朝起きたら、雪が数センチ積もっていた。午後になっても降り続いている。お昼頃、近所の梅園公園を歩いてみた。

 次の写真は、梅園公園の入り口の一つ。正面の通りは、この付近を東西に走る遊歩道。この道の左側に、梅園公園がある。
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 次の写真は、入り口から少し入ったところ。あずまやが見える。墨絵のような世界だ。向こうで子供たちが遊んでいる様だ。
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 更に奥に進むと、子供たちが元気に雪遊びをしていた。ここに見える木々は、梅の木である。
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by utashima | 2006-01-21 12:59 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)

小学校時代の担任の先生が永眠された。

 2006年1月20日、帰宅してみると、見知らぬ人からの寒中見舞いの葉書が来ていた。苗字に覚えがあるので、もしやと思って読んで見ると、小学時代の担任の先生の訃報であった。昨年暮れに84歳で永眠された。先生には、何十年も年賀状をお出しし、戴いてきた。私は、小学校を卒業してから、福山市にある広島大学付属中学校に通学したが、向島から渡し船で尾道に渡り、尾道駅から電車で福山にある学校に通った。渡し船に乗る時、稀に先生にお会いする事があった。「元気で通ってるか。」と声を掛けて頂いたのを思い出す。大学に行って以降、先生にお会いする事はなかった。年賀状だけの交換が何十年も続いた。先生には、生徒たちの自主性を重んじて接して戴いたように感じている。記憶に残る出来事として、授業ボイコット事件がある。原因は記憶にないが、私達と先生で対立し、「授業を受けるかボイコットするかを議論し、結果を知らせに来い。」との言葉を残して職員室に戻られた事があった。学級会での議論の結果、その日の授業をボイコットして運動場で遊んだ。後で先生に呼ばれて、注意された。6年生の終わり頃、上記の付属中学の入学試験の何日か後、先生が私を廊下に呼び、「受かったよ。」と教えて下さった。その時、思わず飛び跳ねて喜んだ。先生、安らかにお眠り下さい。
by utashima | 2006-01-20 21:07 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(0)

平沢官衛(ひらさわ かんが)遺跡

 2006年1月9日、小田城跡を訪れた後、すこし北にある「平沢官衛遺跡」に行ってみた。ここは、小田城跡のことを調べていて知った遺跡である。このリンク先の情報によると、平沢官衙は、奈良・平安時代に造営された常陸国(ひたちのくに)筑波郡の役所跡である。2003年4月から一般公開されている。小田城跡と平沢官衛の位置関係を以下の地図に示した。地図の下端に小田城跡があり、平沢官衛は上端にある。中央の赤丸に意味はない。
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 次の写真は、平沢官衙遺跡に復元されている3棟の高床式倉庫。バックに筑波山が見える。
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 下の写真は、倉庫に更に接近して写したもの。正倉院のような造りになっている。3棟以外にも、発掘されている建物跡がたくさん有った。
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 Google Earth で平沢官衙遺跡を表示してみた。下の画像である。分解能は1m位は有りそうだ。下に写っているのは、大池。この周りには、桜の木がたくさん植えられており、花見の名所のひとつである。この衛星画像では、大池にはたっぷり水があるが、当日は水は殆どなく、中の島の周りは完全に干上がっていた。
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by utashima | 2006-01-16 21:00 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)

[17]海外からのアクセス増加

 2006年1月6日から急にアクセス数が増加した事、アクセス元が海外のようである事スパム・アクセスではなく通常のアクセスと考えられる事、などを記してきた。
 2006年1月14日までの約1週間、200アクセス/日以上が続いている。以下に、2005年4月2日付近からの日々のアクセス数の変化を示す。画像が不鮮明で申し訳ない。画像をクリックして頂くと、もっと鮮明なグラフが別窓に現れます。
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2005年4月2日は、「野尻ボード」に初めて書き込みした日です。その翌日、「松浦晋也のL/D」でも紹介して頂き、私のブログへのアクセスが急増した。それ以前は、平均15/日程度のアクセスであった。グラフの左端の桁違いの増加がそれを示している。その後、今年の1月5日まで、平均100/日のアクセス数でした。時々200から300になるのは、主に「野尻ボード」に書き込んだ時であり、増加の原因は判っていた。

 しかし、今年の1月6日からの急増は未だに原因が判っていない。まだ1週間程度のデータしかないが、一過性のものではないような気がしている。全世界からアクセスされているため、私が寝ている間にもアクセスが多くあり、朝起きてみると、既に70~80件のアクセスがある。 
by utashima | 2006-01-14 14:03 | ブログ作成の経過 | Trackback | Comments(2)

アクセス増加はスパムでないと判断

 1月6日からの当ブログへのアクセス増加が気になっていたが、

(1)その間、スパム・トラックバックが全くない事、
(2)アクセス元の幾つかのドメインを調べると、台湾大学、国立政治大学(台湾)、香港理工大学などであった事

などから、これらの大学等の日本人留学生又は日本語学習者がアクセスしていると考えるのが妥当と判断している。日本以外からアクセスしている方から、何かコメントがあると嬉しいのですが。
by utashima | 2006-01-11 21:24 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(2)

アクセス数増加の1つの可能な解釈

 1月6日(金)から、アクセス数が 2~3倍に増加している。この件は、『最近2日間のアクセス状況』に書いた。1月10日(火)18時30分時点で、1日のアクセス数が 205。相変わらず、多い。この増加が、実際に記事を読んで頂いている結果であれば嬉しいのであるが。

 別の可能性も有りそうだ。スパム・トラックバックをしようと、色々なサイト(海外を含む)からアクセスが来ているのかも知れない。ネットワークに詳しい人から聞いた話である。余りにも色々な国のサイトから来ているのが怪しい。エキサイト・ブログでも、指定したサイトからのトラックバックの拒否設定が可能となっている。今までにも、スパム・トラックバックが 10件以上は来ている。その度に、そのアクセス者の情報を使って拒否設定を行なって来た。1月6日からのアクセス増加に際して、スパム・トラックバックは発生していない。もし、アクセス増加がスパム・トラックバックによるものであるならば、拒否設定が有効に働いて、防いでくれている事になる。拒否設定が働いて拒否した場合にも、アクセス数が増えるものなのかは、私には判らない。
by utashima | 2006-01-10 18:40 | 最近考えている事 | Trackback | Comments(0)

小田城跡

 1月9日の成人の日の午後、穏やかな晴天だったので、近所の小田城跡に祖父と共に出かけた。小田城跡の概略位置を下の地図に示す。中央の赤丸に十字の有る場所である。筑波学園都市の北の端付近にある。詳細は、上のリンクを見て頂きたいが、小田城は、鎌倉時代から戦国時代末まで、この地方に勢力を張った小田氏の居城である。特に南北朝時代における南朝方の関東における拠点として名高いとの事。再起をかけて東国に下ってきた北畠親房が小田氏を頼って小田城に身を寄せ、小田城内で「神皇正統記」を執筆したそうです。
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 次の画像は、Google Earth で見た小田城跡である。中央部にあるほぼ正方形のところである。水色に見える場所は、ビニール・シートをかけている所であろう。9日に見た時には、少しずれた場所にシートがかけられていた。発掘調査が正に行なわれている場所と思われる。
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 以下の写真は、発掘調査の説明掲示であるが、これを読むと、9年後に復元整備工事が終わり、歴史広場になると書かれている。写真をクリックすると、少し拡大表示され、文字も読めると思われる。
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 以上、淡々と説明して来たが、小田城跡に辿り着くのは簡単ではなかった。事前に地図で場所を確認し、助手席の祖父が地図を見ながら navigator をしてくれたが、どこが小田城跡か判らない。偶々通りかかった地元のご老人に「小田城跡はどこですか。」と尋ねると、「そこですよ。」と、すぐ目の前を指してくれた。私たちは、小田城跡の南西側100m位の所に立っていた。城の周りには当時、堀があったが、堀のすぐ外に立っていた。
by utashima | 2006-01-09 18:58 | つくば近傍探訪記 | Trackback | Comments(0)