尾道市東京事務所ブログのRSSを登録し、毎号読んでいる。今日、3月22日の記事を読んだ。タイトルは、『港築いたお奉行さん~平山角左衛門』である。住吉浜を埋め立て、築港の恩人として知られる第13代尾道町奉行・平山角左衛門の話である。住吉浜は、私が住んでいた向島の「彦の上」地区の対岸付近である。
その記事の下に、「海事都市尾道」サイトへのリンクがあり、更にその中の『海をめぐる歴史と文化』を読んだ。古代から近代の尾道の歴史が記されている。中世のPDFを読むと、室町時代の1371年に足利氏の縁戚に当たる今川貞世(出家後の名は了俊)が九州へ向けて遠征する道すがらに書き留めた紀行文『道ゆきぶり』の中の以下の一節が紹介されている。 「たゞ此むかひたるかたに、よこほれる島山あり。むかし此所をらうじける人、和歌の道にすける心ふかきあまりに、おりたつ田子いりぬる海人までも、歌をなんよませつゝ待てけうじけるより、やがてこの所を歌のしまというとぞ。」 向かいに見える島は和歌が盛んで、後に「歌の島」と呼ばれる様になったとある。
2010年9月27日から NHK 連続テレビ小説『てっぱん』が始まった。書斎に最近購入した19インチ液晶テレビ(USB外付けHD接続)で毎日録画し、都合の良い時に楽しんでいる。このシステムには DVD や BD へのダビング機能はないが、番組の見落としが無くなり、番組の時間に拘束される事も無くなった。特に、後者の利便性が気に入っている。気に入った番組の長期保存は、近い内に買換えの必要な PC で考える事にしている。
2007年の父の49日法要以後、暫く帰省していないが、毎日尾道水道の景色を楽しんでいる。大林監督の尾道三部作で良く出てくる渡船は確か福本渡船だったと思うが、『てっぱん』では、そこから約1km東にある尾道渡船が使われている。こちらのGoogle Maps をご覧下さい。尾道渡船は、私が中学・高校生の頃は、公営渡船と呼ばれていた。1984年から民営化されたようだ。私は、中学と高校は福山市にある6年一貫教育の広大付属校に通ったが、その時、この公営渡船を利用した。6年間毎日乗船した思い出のある渡船である。休日に書店に行く時などは、更に東にあった岸本渡船(尾道市役所の近くに着く)を利用していたが、2008年に運行廃止となった。
先日、尾道市東京事務所のマネージャの方からメールを戴いた。東京に出張の際には、寄って下さいという内容であった。実は、尾道市東京事務所と同じフロアに JAXA の1部署があり、その部署の方から、私が尾道出身であるという事を聞かれた様である。
私は、尾道市東京事務所の存在を知らなかったので、先ずネットで検索してみた。ここが、尾道市東京事務所のサイトである。東京駅八重洲北口の第一鉄鋼ビル5階にある。2004年1月に開所した事が、このサイト(開所記念交流会の記事)に書かれている。私も読み続けている『太陽の黙示録』の作者である漫画家のかわぐちかいじ氏も出席されていた。東京に出張した時は、時間があれば寄ってみたいと思っている。
2008年12月21日(日)、まだ会った事のない歌島さんからメールを頂いた。この方は、正確には旧姓が歌島さん。以下、この方を Nさんと呼ぶ事にする。約45年前に、私たちは会っていた可能性のある事が分かった。1964年(昭和39年)に私は広島大学附属福山中学校の1年生だった。附属学校では、教育実習が行なわれる。主として教育学部の大学生が附属学校に出向き、数週間授業を行なうのである。この教育実習で授業を行なう大学生を「教生」と呼んでいた。Nさんは、私が中学1年の時の教生の御一人だった。しかし、私のクラスの担当ではなかったため、私はこの事を知らなかった。Nさんの旧姓は「ウタジマ」との事。現在は、東広島に住んでおられる。
Nさんは、以前のこの記事の歌島(うたじま)さんと比較的近い家系という事も分かった。Nさんの父上は、戦前、東京読売新聞社の記者をされていたとか。私の知る歌島の家系も範囲が広がってきた。しかし、私が生前の父から聞いているのは、直系尊属3代の名前だけ。Nさんの家系とどれだけ遡れば繋がるのかは分からない。
2007年9月21日、まだお会いした事のない4人目の歌島さんから連絡を戴いた。ご本人の了解を戴いたので、簡単に紹介します。
現在、名古屋市に住んでおられる40歳位の男性の方で、ご両親は大阪にお住まい。お祖父さんは、山口県岩国市で歯科医をされていた。この方の姓の読み方は、「うたじま」との事。私の姓は、「うたしま」です。何故異なるのか、興味のあるところです。この方の家系は、比較的早く尾道(向島)を離れられたように思われますが、私とも親戚関係にあると思いました。 この方の小学生の息子さんは、今年の夏に日本棋院で開催された囲碁大会に出場されたとの事でした。リンク先に、お名前があります。小学生から囲碁をしていると、強くなるでしょう。頑張ってください。 今まで私が知っている歌島さん達の住んでおられる場所は、尾道市、福山市、広島市、出雲市、札幌市ですが、新たに、大阪市、名古屋市が加わりました。
数週間前、職場の鉄道ファンの若い人に、尾道鉄道の写真の載っているサイトを教えて貰った。このサイトに、「1925年(大正14年) にようやく西尾道-石畦(いしぐろ)間、翌年に石畦-市(いち)間が開業、更に1933年(昭和8年) に尾道-西尾道間が開業して山陽本線に接続された。」 と書かれている。このサイトの8枚目の写真は、尾道駅の尾道鉄道専用ホームのもの。背景の風景は、今も殆ど変わっていない懐かしいもの。尾道鉄道は、1964年7月末に廃止になった。そのサイトの次の写真が同じ場所を1999年に撮った物。旧尾道鉄道専用ホーム跡は、駐輪場になっている。
私には尾道鉄道の記憶が全くない。尾道の北部に親戚もなく、行く用事もなかったので、全く乗った事はないと思う。でも、廃止の日付の1964年7月が気になった。この時、私は中学1年生。福山市の広島大学附属福山中学校に通学しており、毎日朝夕、尾道駅を利用していた。よって、この年の4ヶ月間は、尾道駅の尾道鉄道専用ホームに停車している電車を見ていた可能性が大きい。 別のこのサイトに、尾道鉄道に関する更に詳しい情報があった。尾道鉄道の全ルートなどの説明もある。北部の諸原駅付近は急勾配のため、スイッチバックになっていたようだ。 更に調べてみると、中国新聞社のこのページが見つかった。中国新聞社経由で、ここに紹介されている田尾健爾氏にコンタクトする事ができ、田尾氏のご好意で、冊子「尾道鉄道物語」を読ませて頂く事ができた。感謝します。 尾道駅付近の尾道鉄道の路線を以下の地図に、ピンク色の線で描いてみた。西尾道駅は現在、尾道ポートプラザホテルになっている。尾道鉄道は、現在の山陽新幹線の新尾道駅の傍を通っていた。現在、新尾道駅と尾道駅の連絡は、バスで行なわれている。 ![]() 広島県広報室は、『すこぶる広島』というタイトルの季刊の広島県グラフ誌を発行している。右の写真は、その最新号である。その中に、「新しいまちが生まれた ●尾道市 (今日の尾道をご案内します) 」という記事があった。読んでみて、合併により尾道市がかなり広くなっている事を知った。昨年11月に帰省した時、向島の西半分の向島町も尾道市になった事を知った。尾道市のホームページによると、2005年3月28日に合併している。現在は更に、因島市、豊田郡瀬戸田町(耕三寺で有名)とも合併している。これは2006年1月10日である。 この記事によると、6年ほど前に「観光パートナー尾道の会」が結成され、毎週末に、JR 尾道駅前の広場に「おのみち観光案内」というのぼりをくくり付けた青いパラソルが立ち、黄色のジャンパーを着たボランティアの人たちが観光客を出迎えてくれるとの事。千光寺、浄土寺、大林監督の映画のロケ地などの写真も掲載されている。浄土寺は、法隆寺建立から約10年後に建てられた非常に古い歴史を持つ寺である事を初めて知った。いつか、尾道の寺々をゆっくり訪れたいと思った。
3月12日、3人目のまだ会った事のない「歌島」さんから、メールを戴いた。2005年6月の最初の方と家系図的には近い位置の方であった。ご連絡、有難う御座いました。
三島由紀夫氏の『潮騒』の舞台である伊勢湾の入り口にある小島「神島」が、昔は「歌島(うたじま)」と呼ばれていた事が判り、『潮騒』を近所の書店で購入し、30年振り位で再び読んだ。最初の書き出し「歌島は人口1400、周囲1里に充たない小島である。」は良く覚えていたが、話の内容は殆ど忘れていた。新治と初江が最後にどうなるのかさえ思い出せなかった。という事で、新しい作品のように楽しむ事ができた。
次に、映像でも神島を見たいと思い、近所のレンタル・ビデオ・ショップに出向いた。この映画は、まだ見た事がない。DVDの『潮騒』はあるが、ビデオでは置いていないという。我が家には、まだDVDプレーヤーがない。買う決心はつかなかった。10月26日は年次休暇を取っており、インターネットでDVDプレーヤーの価格を調べてみた。5000円前後の製品があった。ここまで下がっているのなら買おうと決心し、近所の家電量販店で購入した。その帰りに、レンタル・ビデオ・ショップに寄り、『潮騒』のDVDを借りて来た。 DVDプレーヤーをテレビと接続し、『潮騒』を見た。1975年の作品だった。30年前である。山口百恵さんは可愛かった。有島一郎さん、津島恵子さん、花澤徳衛 さん、丹下キヨ子さんなど、懐かしい顔ぶれだった。この映画は、コメディ的なところもあった。神島の海辺の断崖の景色が印象に残った。
このブログの過去の記事に、三島由紀夫氏の小説『潮騒』の舞台が「歌島」であり、それは伊勢湾の入り口に実在する小島の「神島」である事などを書いた。2005年10月15日の夜にインターネットで検索していて、関連するサイトを見つけた。そこに、このような記述があった。
神島は、平安時代から歌島と記載されているし、鎌倉、南北朝期にも登場する島だったのが、いつの間にか、神島となった。このサイトに質問させて頂き、以下の情報も戴いた。 鎌倉時代まで歌島の記載があります。その後、神島に変わりました。有難う御座いました。 Google で更に検索してみると、幾つかの情報が得られた。 (1)神島紀行 このサイトの最後の(後日談)に、神島に何十年も前に歌島屋という屋号の雑貨屋があった事が記されている。 (2)神島(Wikipedia) ここには、「古名は、歌島、宿島、喫島、日湊などと呼ばれた。」と書かれている。 三島由紀夫氏は、その当時の名前でなく、過去の名前(歌島)を使った事がはっきりした。伊勢湾の神島が「歌島」と呼ばれていた頃、尾道市の向島も「歌島」と呼ばれていた事になる。尾道市の歌島(現在の向島)と伊勢湾の歌島(現在の神島)に、当時、どんな関係があったのだろうか。伊勢湾というと、その西岸に伊勢神宮があり二見浦がある。私事であるが、そこは両親が新婚旅行で訪れた場所だった。子供の時に見たアルバムに、二見浦の夫婦岩が写っていた。 以下の写真は、高画質壁紙写真集無料壁紙の中から resize して貼り付けさせて頂いた、日の出の夫婦岩である。感謝します。 ![]() < 前のページ次のページ >
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