JPL に滞在した20年前の日記を読み返した(2)

 JPL においては、完成して1年も経っていない Building 301 の地下1階に、ブースで仕切られた1区画を貰った。机二つと書架1つがある3~4畳程度の広さである。仕切りの高さは、160cm程度。当初は、計算機の端末は、この区画には設置されていなかった。日本の大部屋と違い、とても集中できる環境であった。なお、追突事故のために受ける事ができなかった路上試験であるが、1回目は失敗し、11月18日の2回目の試験で90点の合格だった。この頃は、新しい中古車は入手できておらず、相手の保険会社の支払いのレンタカーを使っていた。

 1986年11月初め~1987年1月末の3ヶ月間は、JPL の軌道決定や軌道制御の関係のシステムを調査し、旧NASDA のシステムとの比較レポートを作成し、JPL に提出した。JPL のシステムの調査に際しては、英語の勉強も兼ねて色々な人のオフィスを訪ねて、文献を貰った。訪れた人の中に、1970年代にソニーの東京本社に勤務していた研究者もいた。私が帰国してからも、貰った資料の改訂版を送ってくれたりした。深宇宙探査関係では、バイキング・ミッション(火星探査)とガリレオ・ミッション(木星探査)のマヌーバ関係の資料を貰って調査した。ガリレオ・ミッションでは、打上げ時に、全てのソフトウェアの作成が完了してはいない、ということを聞いて驚いた。木星到着までに何年も掛かるので、打ち上げてから作るものもあるらしい。

 11月24日に、借家のオーナー夫妻の支援で購入した Honda Accord LX が届いた。日本ではホンダのビガー(Accord の姉妹車)を乗っていたので、Accord が良い車だという事は知っていたが、この車に関しては、オイル漏れで苦労させられた。アメリカの整備員の質が悪かったのかも知れない。毎週、オイル・ゲージで残量を計り、減り過ぎるのを見つけては、整備工場に持って行っていた。

 12月になると、日本の静止気象衛星 GMS-4 のCompatibility Test が JPL で行なわれ、私も時々顔を出した。私は、GMS シリーズの1号機、2号機、3号機の地上システムの軌道姿勢制御系を担当していた。1月末の日曜日に、宇宙研のハレー彗星探査機 MS-T5 のマヌーバが行なわれた。私も JPL に出勤して、DSN で受信した 3 way doppler のデータを見た。ランダム変動は 0.01 Hz 程度であった。視線速度誤差では 1mm/s 以下である。マヌーバ終了間際に姿勢がずれてロックオフしたようだった。

 私と同じフロアに、CNES から火星ミッションの関係で来ている研究者がいた。彼は、既にCNES と電子メールの交換をしていた。一方、当時の私の旧NASDA との連絡手段は、郵便だけであった。

 下に、JPL のほぼ全体図を Google Map で示した。ほぼ中央の大きな建物が Bldg 301、その左上の青マークが、本館または管理棟とでも言うべき建物で、ここの最上階辺りに JPL 所長の部屋があった。一度だけ、その部屋を訪れた事があったが、何のために行ったのかは覚えていない。青線は、Free Way 210 を降りて、Oak Grove Dr. に入ってから Bldg 301 までのルート。なお、車は、左の駐車場に入れる。この駐車場がいつも混んでいて困ったものだった。
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 (その3) に続く。
by utashima | 2007-07-11 21:30 | イベント | Trackback | Comments(0)
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