JPL に滞在した20年前の日記を読み返した(1)

 書斎の整理を少しずつ行なっている。手書きの日記の確認をしていると、ジェット推進研究所 (JPL) に滞在した 1986年10月から 1987年10月までの 1年間の日記が別冊になっており、懐かしくなって読み返した。

 ロサンゼルスに到着したのは、1986年10月25日。私、家内、5歳の長男、1歳の次男の4人で出かけた。住む家と車は、前任者のものを引き継ぐ事ができ、大いに助かった。住む家は、パサデナ市の東隣の Arcadia 市にある。ロサンゼルス国際空港に到着した時、NASDA のロサンゼルス駐在員事務所の所長と、住む家のオーナー夫妻(タイ人)が出迎えてくれた。オーナー夫妻は、私たちをタイ料理店に案内してくれ、Arcadia の家まで送り届けてくれた。ロサンゼルス駐在員事務所の所長には、日本を出発する前から色々とお世話になっていた。特に、ロサンゼルスに到着する日から、自動車保険が有効になるように、現地の日系の保険会社(神谷保険)に話を付けて頂いていた。これが、とても役に立つ事になる。

 日本を出る前に、私と家内は国際運転免許証を取得していた。しかし、ロサンゼルスでの生活において、身分証明書として現地の運転免許証は取得しておいた方が良いと、前任者から伺っていたので、すぐに Department of Motor Vehicle (DMV) に行き、筆記試験を受けた。試験場には、数カ国語の試験問題が用意されているが、その時は、数ヶ月前の中曽根総理大臣の失言(米国の黒人は、知能指数がどうのこうのというもの)の影響で、日本語の試験問題は試験場から消えていた。しかし、日本にいる時に、英語の試験問題で練習していたので大丈夫だった。筆記試験に受かると、電話で試験日を予約して、自分の車を試験会場に持ち込んで、路上試験を受ける事になる。11月3日に路上試験を受けるために、Arcadia の自宅から Pasadena の DMV に、自分の車で向かった。半分ほど進んだ所に競馬場があるが、その近くで一時停止していた数台の車の後ろに付けて停まっていた。そして、運転席上のバックミラーを見ると、かなりなスピードで接近してくる車がある。ぶつけられると思った。ハンドルをしっかり握り、腰を低くして、衝突に備えた。かなりの衝撃を受けた。エンジンはかからず、助手席のドアは開かなくなっていた。こんな大きな事故は、初めてであった。私は暫くボーとしていた。幸いな事に、加害者は良い人だったようで、数十メートル先にある公衆電話から警察を呼んでくれた。その後、私は、自分の車に乗ったまま、レッカー車に引かれて自宅に戻った。

 私は、特に負傷した形跡はなかったが、何も考えられない状態であった。自宅の裏にあるガレージに着く前に表の庭の前を通ったが、その時、家内が外にいて、こちらを見ていた。この時が、今までの私の人生で、最も不安な時であったと思う。もう少し事故の被害が大きいと、海外研修がそこで終わるだけでなく、私の人生も終わっていたかも知れない。この事故の後処理は、先に書いた神谷保険が適切に対処してくれ、本当に助かった。事故の後、近所の日本人の診療所でレントゲン検査などをして貰い、問題ない事を確認した。車は修理不能と判り、加害者側の保険会社から、同等の車を買う費用+病院の費用+慰謝料を貰った。新しい中古車は、オーナー夫妻の支援で得る事ができた。Honda の Accord である。この事故の後、信号などで停まる度に、後ろが気になって仕方なかった。この後ろの恐怖から開放されるまで、数ヶ月掛かった。

 以下に、Google Map で、住んだ家、追突事故現場、DMV、JPL の位置を示した。青マークが付いている所がそれらである。最右の青マークが住んだ家、最左が JPL である。図をクリックすると、もっと良く見える。
c0011875_12374146.jpg

 (その2)に続く。
by utashima | 2007-07-09 00:20 | イベント | Trackback | Comments(0)
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