11月23日(勤労感謝の日)は、前日までの厳しい寒さから開放され、少し暖かい(多分平年並み)天気だったので、予てから訪れたいと思っていた
『上高津貝塚』に行ってみた。この地図の右上に∴の記号で記されている。左端に筑波宇宙センターがある。自宅から自転車で出かけた。30分足らずで行けたと思うが、途中に坂道があり、良い運動になった。ここに行ってみようと思ったのは、以前に つくばエクスプレス TX に関する本を読んだときに、「土浦市とつくば市の境界近くに、ぽっかり浮かぶ緑の島、宍塚(ししづか)の里山、がある」との記述を読んだからである。この日に出かけたのは、宍塚の近くにある縄文時代の貝塚遺跡である。上高津(かみたかつ)貝塚と呼ばれている。
下の写真は、入り口にある市立考古資料館。月曜日、祝祭日は閉まっているので中には入れなかった。
上高津貝塚の入り口付近に、箱型石棺(東台古墳群第13号墳のもの、土浦市木田余町の台地で1987年に発見)が復元されている。
次の写真は、ここの貝塚の全体図である。この歴史の広場は、1995年にできたようだ。私は、ここに初めて来たが、家内に聞くと、学校の課外授業か遠足などで子供たちは訪れているようだ。
説明文によると、これらは今から3000年~4000年前の縄文時代後期の遺跡。広さが4.4ヘクタールもあり、日本でも大きな貝塚の一つ。貝塚から出土した魚の骨などから、当時、霞ヶ浦が太平洋につながる内海だった事が判ると書かれている。下の写真の右半分が貝塚。
次の写真は、復元された掘立柱建物。
次は、復元された竪穴式住居。3つの住居が復元されていた。この1つに1家族が住んだと考えられている。
当時の霞ヶ浦は、今よりも水位が3メートル程度高かったと考えられており、この貝塚のある台地のへり近くまで海が広がっていた、と説明文に書かれている。この事は、このブログの
過去の記事とも符合する。この歴史の広場はかなり広く、ラジコンのモーター飛行機(正式な名称は知らないが、モーターでプロペラを回し、ラジコン操縦する全長1メートル程度の飛行機)を家族で飛ばしたりしていた。
更に北に進むと、
宍塚大池があるが、疲れたので、次の機会に訪れたい。