数理科学(2013年2月号)の「科学と社会」第10回に、岡本拓司氏による『明治の脚気』と題した記事があった。以下に、簡単に紹介する。
脚気はビタミンB1の欠乏症であり、むくみ、手足の知覚麻痺、歩行困難などを惹き起こし、重篤な場合には心臓麻痺(脚気衝心)から死に至る。ビタミンB1は豚肉、小豆、麦、玄米の糠(ぬか)などに含まれるが、糠を取り去った白米には殆ど含まれない。
日本では古代から脚気は発生していたが、白米食が行き渡った元禄年間(1688年~1704年)頃から各地で流行した。18世紀前半頃から小豆・麦などが有効である事は理解されていた。将軍家定と家茂の死因は、脚気衝心であったと考えられている。治療に当たった漢方医は脚気と診断したが、洋方医はリュウマチ・胃腸炎・心臓内膜炎と診断した。西洋には、パンと肉中心の食事のため脚気は存在せず、研究の蓄積がなかった。
幕末から明治にかけて、精米法が革新され、糠がほぼ完全に除去されるようになったために、日清・日露の戦争では、脚気が大発生した。西洋医学の影響を受けて、脚気は細菌が惹き起こすという説が主流だった。森鴎外もその説を支持していた。
1889年(明治22年)にエイクマンは、白米のみ与えた鶏に脚気に似た症状が現われるが、米糠の中にそれを治す物質がある事を発見し発表した。ウィキペディアで調べてみると、彼は、1929年にフレデリック・ホプキンズと共にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
東京帝大農科大学が米糠研究で大成功を収めた。明治37年以来、古在由直(*)らが脚気研究を行なっていた。明治39年に欧州から帰国した鈴木梅太郎がその研究に参加した。鈴木は糠から脚気有効成分(オリザニン)を分離する事に成功した。オリザニンは脚気に極めて効果があったが、医学界の主流は認めなかった。医学界において脚気の微量栄養欠乏説が定着するのは、1920年代後半以降である。
(*)古在由直
この人は、天文学者である古在由秀氏の祖父である。古在由秀氏には、日本の宇宙開発の初期に、JAXAの前身のNASDA(宇宙開発事業団)などに衛星の軌道決定などに必要な軌道力学を指導して頂いた。