弘前のアパート探し

 二男が10月1日から弘前大学医学部に編入となり、アパート探しのために、8月18日~19日に二男と二人で弘前市に出かけた。1泊2日の強行軍。前日までつくば市は最高気温が35度前後の猛暑。18日の13時頃に弘前に着いたが、気温は30度位あったが、筑波よりは湿度が低くしのぎ易かった。朝夕は夏の終わり頃の印象。

 到着してすぐに地元の銀行に行き、授業料引き落とし口座の開設を行なった。
 それからすぐに、翌日の15時頃まで、大学生協をはじめ、数ヶ所の不動産屋をタクシーで回り、それぞれの不動産屋で数個の物件を実際に見せて貰った。弘前は第二次世界大戦では空襲を受けなかった(とタクシーの運転手に聞いた)という事で、昔からの曲がりくねった道が多い。今回の調査でピックアップした中から最適と思われる物件を選んで不動産屋に連絡し、契約を進める予定。

青森市の空襲は、1945年7月28日。青森の市街地は火の海に包まれ、40km も離れた弘前市から、真赤に染まった空が確認できたらしい。


 振り返ると、2000年3月、長男が山形大学医学部に合格した時、月末に入学手続きとアパート探しのために山形市に長男と二人で出かけた。この時も1泊2日だったが、大学生協だけで探した物件からすぐに契約した。6年間住んだ長男に聞くと、余り良い物件ではなかったらしい。今回は、10年前の反省もあり、より広い範囲で調査した。我が家は2000年3月末にインターネットが使えるようになったが、山形市でのアパート探しの時点では未開通だった事も影響している。

 二男は、受験時に弘前に何度か行っているが、私は弘前市はもちろん、青森県に行くのは初めて。新幹線で行ったが、つくば市から約6時間。新幹線は現在八戸まで達しているが、今年の12月には、新青森まで開通する。すると、5時間30分程度になるのであろうか。上記のタクシーの運転手に聞くと、「弘前まで新幹線が延びる事は、一生無い」との事。この人は、弘前が一番住み易いと言われていた。八戸から弘前には特急「つがる」に乗ったが、青森駅を出る時は、逆行するので驚いた。

 昔は弘前に県庁があった事もこの運転手から聞いた。ウィキペディアによると、明治4年に県庁移転が行なわれている。以下、一部を掲載した。
県庁移転について、当時県内で突出した都市だった弘前から一港町に過ぎなかった青森に移転されたものであるが、野田が県大参事に任命された折、大蔵省に対し21項目に及ぶ伺をたてており、その1項目目にある県庁の位置についての意見が結果的に採用されたもの。その内容は、6県合併(弘前県(弘前藩)、黒石県(黒石藩)、斗南県(斗南藩)、七戸県(七戸藩)、八戸県(八戸藩)、北海道渡島半島に成立していた館県(館藩))による県土は現在の青森県域に北海道渡島半島の一部と岩手県二戸地方が含まれたものであり弘前県庁では地理的位置が偏っていること、弘前県庁では旧藩の古い慣習にとらわれてしまうこと、青森の港湾の将来性が見込まれること、となっている。これは、野田が戊辰戦争時に当地に半年近く滞在しており地勢に明るかったことから、着任早々にもかかわらずこれだけの見解を持っていたと言われている。


 下は、泊まったホテルからの眺め。正面の山が岩木山。その手前の木々の茂っているエリアが弘前城のある弘前公園。今回は、弘前公園を楽しむ時間はなかった。
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 次の写真は、弘前大学医学部附属病院。
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by utashima | 2010-08-20 11:25 | イベント | Trackback | Comments(0)
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